日本歴史地名大系 「中野半左衛門屋敷跡」の解説 中野半左衛門屋敷跡なかのはんざえもんやしきあと 山口県:豊浦郡豊田町殿敷村中野半左衛門屋敷跡[現在地名]豊田町大字殿敷 長正司半左衛門は、幕末から明治初年にかけて木屋(こや)川の通船事業などに尽力した殿敷(とのしき)在住の豪商で、屋敷は長正司の普済(ちようしようじのふさい)寺跡の前にあった。天保二年(一八三一)半左衛門は木屋川通船を企図したが果さず、同一二年出願。嘉永六年(一八五三)萩藩の代官宍戸九郎兵衛の斡旋で、長府藩・萩藩・清末藩から許可が下り、着工。安政元年(一八五四)河口の木屋(現下関市)から大津郡俵山(たわらやま)村(現長門市)までの全線を完成した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by