中野四郎(読み)ナカノ シロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「中野四郎」の解説

中野 四郎
ナカノ シロウ


肩書
衆院議員(自民党),元・国士庁長官

生年月日
明治40年1月25日

出生地
愛知県

学歴
豊山中中退

経歴
東京市議などを経て、昭和21年4月の戦後初の総選挙で政界入り、愛知4区から当選13回(落選中の31年から33年まで愛知碧南市長)。大平内閣で国土庁長官を務めたほか、衆院予算委員長、自民党国対委員長、党総務副会長などを歴任。衆院公職選挙法改正調査特別委員長として定数是正問題に取り組んでいた。

受賞
勲一等旭日大綬章

没年月日
昭和60年10月21日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「中野四郎」の解説

中野 四郎
ナカノ シロウ

昭和期の彫刻家 創型会代表。



生年
明治34(1901)年11月15日

没年
昭和43(1968)年2月13日

出生地
山口県下関市

学歴〔年〕
東京美術学校彫刻科〔昭和3年〕卒

経歴
昭和3年から帝展文展に10数回入選。16年以降、文展無鑑査となって官展系の中堅作家として活躍。一方、6年木彫の研究団体、九元社を結成、中心的メンバーとして毎年同展に作品を発表。26年戦時中解散した九元社の会員有志とともに創型会を結成、27年より毎年彫刻単一公募団体展を開く。主にセメントを駆使してバロック風の堅実な造型に特色を示した。埼玉大学美術科講師、星美短大教授も務めた。


中野 四郎
ナカノ シロウ

昭和期の政治家 衆院議員(自民党);元・国士庁長官。



生年
明治40(1907)年1月25日

没年
昭和60(1985)年10月21日

出生地
愛知県

学歴〔年〕
豊山中中退

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日大綬章

経歴
東京市議などを経て、昭和21年4月の戦後初の総選挙で政界入り、愛知4区から当選13回(落選中の31年から33年まで愛知碧南市長)。大平内閣で国土庁長官を務めたほか、衆院予算委員長、自民党国対委員長、党総務副会長などを歴任。衆院公職選挙法改正調査特別委員長として定数是正問題に取り組んでいた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中野四郎」の解説

中野四郎(1) なかの-しろう

1901-1968 昭和時代の彫刻家。
明治34年11月15日生まれ。卒業制作春陽」が母校東京美術学校(現東京芸大)の買い上げとなる。帝展,文展に出品し,昭和8年九元社,26年創型会を結成。埼玉大の講師をつとめた。「中野四郎作品集」がある。昭和43年2月13日死去。66歳。東京出身。

中野四郎(2) なかの-しろう

1907-1985 昭和時代の政治家。
明治40年1月25日生まれ。東京市牛込区会議長,東京市議をへて,日本農民党中央執行委員長。昭和21年衆議院議員(当選13回,自民党)となる。第1次大平内閣の国土庁長官。昭和60年10月21日死去。78歳。愛知県出身。豊山中学中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android