日本歴史地名大系 「中野新田村」の解説 中野新田村なかのしんでんむら 山形県:酒田市旧平田郷地区中野新田村[現在地名]酒田市中野新田土崎(つちざき)村の東にある。明暦三年(一六五七)庄内藩士竹内十太夫が中野谷地を開発したのが創始とされ、当初の家数は一四軒であった(中野新田碑)。寛文元年(一六六一)の検地では田畑三町四反余・分米二六石余(飽海郡誌)。同一三年に田方二一町四反余・宅地一町一反余、分米二〇五石余、家数二五までになったが、度重なる水害などで逃亡者が続出し、一時は七軒が残るだけだった(前掲新田碑)。貞享四年(一六八七)草刈地の鷹尾(たかお)山萱山札七枚を所有し、米一斗四升を納めた(「鷹尾山新古留帳」相馬文書)。 中野新田村なかのしんでんむら 山形県:東田川郡朝日村中野新田村[現在地名]朝日村中野新田越中山(えつちゆうやま)村の北、赤(あか)川右岸に位置する。承応年中(一六五二―五五)有賀氏によって開発され、寛文年間(一六六一―七三)に一村となったという(庄内大庄屋控)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by