串木野郷
くしきのごう
東は薩摩郡樋脇郷、北は同郡高江郷・隈之城郷・百次郷(現川内市)、南東は日置郡市来郷、南西は海に面する。江戸時代には鹿児島藩外城の一つで、上名村・下名村・荒川村(日置郡)、羽島村(薩摩郡)の四ヵ村よりなる。浦町は浜村・浜町・島平浦・羽島浦である。なお寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳に薩摩郡内串木野郷内としてみえる新田村は「三国名勝図会」では「水引に隷く」とある。諸郷地頭系図によると地頭は文明六年(一四七四)頃には川上忠塞であり、以後川上氏が多くみられる。天文―弘治(一五三二―五八)頃には山田有徳であった。元亀元年(一五七〇)には島津家久が当地を与えられたが、天正七年(一五七九)日向の佐土原(現宮崎県佐土原町)に移った。以後同八年に宮原景晴、慶長(一五九六―一六一五)初年頃に新納久饒、慶長七年から寛永一六年(一六三九)まで仁礼蔵人と移り代った。「三国名勝図会」では天保一四年(一八四三)の地頭仮屋所在地は串木野村上名とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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