デジタル大辞泉
「島津忠義」の意味・読み・例文・類語
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しまづ‐ただよし【島津忠義】
- 江戸末期の薩摩藩主。久光の長男。藩主斉彬の死後、父と共に藩政改革に着手し、軍備を充実、藩の近代化につとめた。慶応三年(一八六七)討幕の密勅を受けて京に上り王政復古につくした。維新後、版籍奉還を奏請。のち貴族院議員。天保一一~明治三〇年(一八四〇‐九七)
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島津忠義【しまづただよし】
幕末の薩摩(さつま)鹿児島藩主。久光の長男。忠徳,茂久(もちひさ)とも称した。19歳で藩主となり,〈国父〉として藩の実権を握った父久光とともに藩政改革を行った。薩英戦争の後,軍備の近代化の必要を感じ,五代友厚らをヨーロッパに派遣しフランス人モンブランと商社設立を協定した。1867年討幕の密勅が下ると大挙出兵,王政復古に努め,戊辰(ぼしん)戦争では倒幕軍の主力として活躍した。後,貴族院議員。国葬となった。
→関連項目旧集成館|島津久光
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島津忠義
没年:明治30.12.26(1897)
生年:天保11.4.21(1840.5.22)
幕末維新期の薩摩(鹿児島)藩主。島津久光の長子。安政5(1858)年12月,前藩主斉彬の遺命により襲封,名を茂久とする。時に19歳。藩政の指導は実父久光あるいは西郷隆盛,大久保利通らの有力家臣に委ねた。慶応3(1867)年11月,討幕の密勅を得て率兵上洛,王政復古の政変で誕生の新政府では議定,この直後に忠義と改名。海陸軍務総督,鹿児島藩知事。西南戦争に当たり政府軍と西郷軍の休戦を図ったが失敗。保守化していく父久光によく従う。明治22(1889)年2月11日の大日本帝国憲法発布の式典に列席,「ただ一人(洋服姿でいながら)なお正真正銘の旧い日本のまげをつけているサツマの島津公を認めた。珍妙な光景だ!」とはベルツの日記の一節。まげは,すでに亡い久光への孝心に出ていたのかもしれない。
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島津忠義
しまづただよし
[生]天保11(1840).4. 鹿児島
[没]1897.12.26. 東京
江戸時代末期,最後の薩摩藩主。島津久光の長子。茂久と改名した時期もある。斉彬死去ののち遺書により安政5 (1858) 年,島津家 29代の藩主となる。父久光を国父と尊称してその輔佐により幕末の藩政を指導。公武合体政策をとっていたが,薩英戦争ののち,西郷吉之助 (隆盛) ら藩内尊王派の意見に従って尊王討幕,親英政策をとった。王政復古に際しては議定に任じられ,海陸軍総督となった。明治2 (69) 年1月版籍奉還の上表に署名,6月藩知事。同4年7月廃藩置県とともに辞任。 1884年公爵。勲一等。国会開設に伴い貴族院議員に任じられた。
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島津忠義 (しまづただよし)
生没年:1840-97(天保11-明治30)
幕末の薩摩藩主。初名忠徳,茂久。久光の子。伯父斉彬の遺命により1858年(安政5)藩主となる。久光の後見の下に藩政改革と陸海軍備の充実に努め,67年(慶応3)討幕の密勅を奉じて大挙出兵,戊辰戦争には討幕戦の主力として活動した。69年(明治2)版籍奉還を首唱し,のち公爵,貴族院議員となる。
執筆者:原口 虎雄
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島津忠義
しまづただよし
1840.4.21~97.12.26
幕末期の大名。薩摩国鹿児島藩主。父は久光。はじめ茂久。1858年(安政5)伯父斉彬(なりあきら)の急死により祖父斉興を後見として相続。同年安政の大獄の余波で動揺する藩内を鎮めるため,直筆の諭書を「精忠士面々」に下す。斉興死後,久光が国父として実質的に藩政をみた。67年(慶応3)王政復古の大号令後,議定となり,69年(明治2)萩・高知・佐賀3藩とともに版籍奉還を奏請。藩知事となる。のち公爵,貴族院議員も務めた。
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島津忠義 しまづ-ただよし
1840-1897 幕末-明治時代の大名,華族。
天保(てんぽう)11年4月21日生まれ。島津久光(ひさみつ)の長男。安政5年薩摩(さつま)鹿児島藩主島津家12代となり,父に後見される。藩の近代化をすすめ,薩英戦争をたたかう。慶応3年討幕の密勅をうけ大兵をひきいて京都に出,王政復古につとめた。戊辰(ぼしん)戦争では新政府軍の主力となる。のち公爵,貴族院議員。明治30年12月26日死去。58歳。初名は忠徳,茂久。通称は又次郎。
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世界大百科事典(旧版)内の島津忠義の言及
【大山綱良】より
…格之助と称した。1859年(安政6),誠忠組のメンバーが藩主島津忠義に血誓の請書を出した署名48人の一人で,[寺田屋事件]では,島津久光の命で志士の鎮圧にあたり,また,倒幕運動で活躍した。戊辰戦争では奥羽鎮撫総督府参謀となる。…
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