串本浦(読み)くしもとうら

日本歴史地名大系 「串本浦」の解説

串本浦
くしもとうら

[現在地名]串本町串本

紀州の最南端潮岬しおのみさき北東、潮岬台地の咽喉部砂洲上にある漁村。「続風土記」に「東西両面に海をうけたれは、海事の利多くして漁者に富豪の者少からす、潮風烈しき地なれは、戸々に寒竹を植ゑて各一区をしめ家居普通の漁村と異なり」と記される。縄文時代のくま遺跡をはじめ、弥生時代の構造船などを出土した笠嶋かさしま遺跡があるなど、早くから開けた地域と考えられる。

慶長検地高目録には串本村と記され、村高一四六石余。「続風土記」によると家数三五〇、人数一千四四二。江田組に属した。慶長一六年(一六一一)の加太浦より錦浦迄加子米究帳(栗本家蔵)によると、上野うわの浦や出雲いつも浦とともに一浦として加子役数四〇人、代納升高四八石。また同帳に三ヵ浦の先高三〇石がみえる。その後の御領分加子米高帳(田中家蔵)に当浦の加子米高二一・六石が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の串本浦の言及

【串本[町]】より

…近世の串本村は潮埼荘にふくまれ,1601年(慶長6)の検地帳によれば家数24軒,うち1軒寺,1軒神主,2軒庄屋肝煎,4軒後家部屋,16軒役人で,田畑合計17町8段5畝27歩,村高は146石4斗9升1合であった。幕末の《紀伊続風土記》によると,串本浦として村高は168石余でわずかに増加しただけであるが,家数は350軒に増加し,カツオ漁をはじめ漁業を専らとし,利益が多く,富豪のものが少なくないとしている。1867年(慶応3)には戸口が404軒,1789人に達した。…

※「串本浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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