丸山 不忘
マルヤマ フボウ
大正・昭和期の鋳金家 東京芸術大学名誉教授。
- 生年
- 明治23(1890)年4月5日
- 没年
- 昭和45(1970)年10月22日
- 出身地
- 山形県米沢市
- 本名
- 丸山 義男
- 学歴〔年〕
- 東京美術学校鋳造科〔大正6年〕卒
- 経歴
- 大正6〜10年香川県立高松工芸学校教諭を務めた後、東京で鋳金工場を経営。昭和21年東京美術学校教授となり、34年退官し東京芸大名誉教授。東京鋳金家協会委員長も務めた。戦前は高村光雲、光太郎の原型による鋳造作品を全て手がけた。帝展、日展などに出品。奈良薬師寺の東塔相輪や日光菩薩の修理なども行った。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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丸山不忘 まるやま-ふぼう
1890-1970 大正-昭和時代の鋳金家。
明治23年4月5日生まれ。高松工芸学校教諭をへて東京で鋳金工場を経営。昭和21年母校東京美術学校(現東京芸大)の教授となる。高村光雲・光太郎の原型による鋳造作品を制作,また奈良薬師寺東塔相輪などを修理した。昭和45年10月22日死去。80歳。山形県出身。本名は義男。代表作に法隆寺金堂本尊前大卓。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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