日本大百科全書(ニッポニカ) 「丹石流」の意味・わかりやすい解説
丹石流
たんせきりゅう
近世剣術の一流派。流祖を衣斐(いび)丹石入道宗誉(そうよ)という。丹石は、美濃(みの)(岐阜県)の人で、斎藤氏に属する西濃十八将の一つに数えられる名家の出身と伝える。初め東軍(とうぐん)流を学び、のち富田(とだ)流平法(へいほう)・新陰流などの諸流を修め、一流をたてて天台(てんだい)東軍流、また支口伝(しくでん)流(東軍すなわち摩利支天(まりしてん)の口伝という意)と称したという。
この間、いわゆる貝足兵法(ぐそくへいほう)の荒々しい剣術から脱皮し、しだいに洗練されて、永禄(えいろく)~天正(てんしょう)年間(1558~92)には、加藤清正・織田信秀(おだのぶひで)・小出右京太夫(こいでうきょうだゆう)・堀監物(ほりけんもつ)らの諸将に教授して有名となり、また2代の市左衛門(いちざえもん)光栄(みつひで)が、高知の山内一豊(やまうちかずとよ)に仕え、また門下の飯沼夢牛斎(いいぬまむぎゅうさい)が諸国を歴遊して普及につとめたことなどによって、その流裔(りゅうえい)は山陰・山陽・筑前(ちくぜん)(福岡県)などの各地に広がった。鳥取藩の雖井蛙(せいあ)流もその一つで、また、幕末秋月藩の藤田仲(なか)は、同流の名剣士として高名であった。
[渡邉一郎]