久保津庄(読み)くぼつのしよう

日本歴史地名大系 「久保津庄」の解説

久保津庄
くぼつのしよう

古代から中世にかけての渡辺わたなべ津にあった庄園。長保三年(一〇〇一)六月二六日付の中納言平惟仲手文書案(高野山文書)によると、惟仲は自分が建立した白川しらかわ喜多きた(のち寂楽寺、跡地は現京都市左京区)へ摂津国豊島てしま郡にあった「榎坂家壱処」ほか一〇ヵ所の庄園所領とともに当庄を施入している。この施入に当たって惟仲は、自分の子供は女子だけであるが、その女子が産んだ子孫のなかで僧侶になる者があれば、白川寺の別当にするようにという条件を付している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む