久原番所跡(読み)くばらばんしよあと

日本歴史地名大系 「久原番所跡」の解説

久原番所跡
くばらばんしよあと

[現在地名]三朝町久原

津山往来が通る江戸時代の久原村南端に位置した。明暦年間(一六五五―五八)には設けられていた四十曲しじゆうまがり番所・人形仙にんぎようせん番所を統合し、寛文四年(一六六四)に因伯両国七ヵ所の番所の一として設けられた(藩史)。正徳五年(一七一五)にも国境番所の一としてあげられている(在方諸事控)。慶応元年(一八六五)当時の番人構成は番頭(青屋持)、番士二名、下番四名(うち倉吉足軽一)、ほかに山奉行一名であった(御目付日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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