(1)中世の荘園における下級荘官の一種。平安後期の1127年(大治2),加賀国額田(ぬかだ)荘にみられるのが早い例であり,以後中世を通じて存在した。畿内周辺の紀伊,近江,加賀,能登などに多くみられる。荘園領主に対する月次(つきなみ)の公事(くじ)(夫役(ぶやく)や綿,絹,酒などの雑公事(ぞうくじ))を勤めるために,荘園の下地(したじ)は幾つかの番に編成されており,その番が公事をかけられる単位となっていた。このため荘園内の番の数は12ヵ月に割り振ることができるよう6の倍数になっているものが多い。これらの番は,地名,人名または数詞を冠して呼ばれた。そのおのおのの番にかけられた公事を勤める責任者が番頭である。番の編成の仕方は多様であり,大別してそれぞれの番がほぼ等しい面積となるような均等な編成と,それぞれの番の面積が違う不均等な編成との2種類がある。もともと荘園の下地は幾つかの名(みよう)に編成され,それぞれの名の名主(みようしゆ)が自分の名にかけられた年貢,公事を勤める責任者となっていた。番の均等な編成には,この名を適当に組み合わせ,均等な面積になるようにしたものと,この名の編成とは別にそれぞれの耕地を適当に組み合わせて均等な面積にしたものとの2種類があった。また不均等な編成には,荘園の名をそのまま番としたものと,一部の番は名そのまま,他の一部の番は複数の名の組合せ,また一部は別々の名に編成されている耕地を組み合わせたもの,という複合的な編成原理をもつものとの2種類があった。こうした番の編成からも推測できるように,番頭には,荘園内の名主たちの中から有力な者が選ばれ,領家または下司(げし)によって任命された。番頭には〈番頭給〉〈番頭免〉と呼ばれる給田,給米が与えられ,番内の土地に権利をもつ名主などの農民を指揮して公事を勤めていたと考えられる。室町ごろになって村落の自治活動が活発になると,〈古老百姓〉として伝統的に村落の特権層だった番頭は,この活動の中心となった。
執筆者:神田 千里(2)商家の使用人が丁稚(でつち),手代(てだい)を経て到達する最後の段階。番頭には一人制のものと数人制のものとがあった。数人制の場合にはその首席のものが支配人となって,商売上の権限ないしは家政の大半をにぎるようになった。一人制では番頭が支配人となって,手代以下のものを統率した。支配人は主人に代わり店のこといっさいを代行するものである。支配人には本家支配人と店々支配人があった。近世の大商店では営業が発展するとともに各地に支店または出店を設けた。枝店(えだみせ),出店の支配人が店々支配人であり,本店(ほんだな),元店の支配人が本家支配人であった。支配人のほかに,これを助ける支配脇(わき)が1~2人いた。支配人や番頭,支配脇のような人々はおおむね別家居住であった。別家には主家から若干の資本と暖簾(のれん)とを分けてもらい,独立の商人となったものもいるが,大商店では多年忠勤をぬきんでた功労によって別家を許され,通い番頭となるものが多かった。番頭は終身奉公をするだけでなく,代々にわたって仕えることも珍しくなかった。
執筆者:宮本 又次
番衆,番方(ばんかた)(番方・役方)の各番の筆頭者を指し,〈ばんとう〉ともいわれる。中世・近世には警固などの役は主として分番交代して行われたので各種の番頭があるが,中世には,鎌倉幕府の雑色(ぞうしき)番頭,これを継承する室町幕府の公人(くにん)番頭,制度として後世に大きな影響を及ぼす室町幕府の奉公衆の番頭などが特に著名である。番頭と番衆との関係はしばしば親子に擬せられ,番頭は相番の者を自宅に招いて饗応し,日常生活や婚姻,子弟のことまで世話をやくなどして,番内の親密なとりまとめに努めることが多かった。こうした関係の端緒は,室町幕府の奉公衆(5番方)に認められる。この番頭は奉公衆の成立期である足利義教のときから,1番畠山,2番桃井,3番上野または畠山,4番畠山,5番大館の諸氏に一定し,これが番衆の譜代的な固定性と相まって家族的な信頼感情を育て,番ごとの連帯性を支えて後世の番衆制度の範となった。
執筆者:福田 豊彦 戦国・江戸時代には武家の職名あるいは格式の一つで,一般に侍組(騎兵)の頭(侍大将)をいう。足軽,同心,徒士(かち)などの組(歩兵)の頭(足軽大将)である物頭の上位,家老につぐ地位にあった。江戸幕府の大番頭(役高5000石),書院番頭(同4000石),小性組番頭(同)が諸藩の番頭にあたる。いずれも諸大夫(しよだいぶ)の格であり,側衆(そばしゆう)(役高5000石),留守居(るすい)(同)と並んで,旗本の役職中最高の格式を誇った。
執筆者:北原 章男
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1畿内周辺地域の荘園でしばしばみられる下級荘官の一つ。荘園の徴税機構で一般的なのは名(みょう)だが,平安末期以後これを再編成して,月ごとの公事(くじ)をさらに賦課しやすくすることがあった。これが番で,再編の行われた荘園を番頭制荘園という。番には既存の名を組み合わせる場合と,名を分割して再編する場合がある。また各番の面積も,均等になるよう組み合わされた場合と不均等な場合があったが,いずれも各番の徴税責任者として番頭がおかれた。番頭は有力な名主から選ばれ,番頭給や番頭免が与えられた。室町時代になると村落指導者層として,惣村自治の主要な担い手となった。
2江戸時代,商家奉公人のうち職階制で最上位に位置し,大店では支配人などとも称された。丁稚(でっち)から手代(てだい)をへて長年勤めあげてきた子飼いの奉公人で,手代以下を統轄して商売全般を差配するとともに,家政の大半も主人から任される場合が多い。大店では,別家を許されて宿持となり,主家に通勤して終身奉公するが,中小の商家では主人から資本や顧客を分与されて独立する場合もあった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…番衆,番方(ばんかた)(番方・役方)の各番の筆頭者を指し,〈ばんとう〉ともいわれる。中世・近世には警固などの役は主として分番交代して行われたので各種の番頭があるが,中世には,鎌倉幕府の雑色(ぞうしき)番頭,これを継承する室町幕府の公人(くにん)番頭,制度として後世に大きな影響を及ぼす室町幕府の奉公衆の番頭などが特に著名である。番頭と番衆との関係はしばしば親子に擬せられ,番頭は相番の者を自宅に招いて饗応し,日常生活や婚姻,子弟のことまで世話をやくなどして,番内の親密なとりまとめに努めることが多かった。…
…定数は8組(ときに増加あり)。各組に番頭1人(若年寄支配,役高2000石,役料なし,布衣,中之間詰),組頭1人(頭支配,役高600石,御目見以上,桔梗間詰),組衆20人(頭支配,役高250俵,御目見以上)があった。1866年(慶応2)廃止となる。…
…番数や交代勤務の方法はその勤務内容によって一定しないが,1年12ヵ月,1月30ヵ日,および1巡60の干支を配分する関係で,番は12か30あるいは60の約数で編成されている場合が多い。番制度による勤務に当たることを〈当番〉,これを勤めることを〈上番〉〈勤番〉などといい,その結番交名(きようみよう)を〈番文〉〈番帳〉,編成された一つの番の統率者を〈番長〉〈番頭(ばんがしら∥ばんとう)〉あるいは〈頭人(とうにん)〉などと呼ぶ。同一の番所属者は〈合番〉〈相番〉と呼ばれ,そこにはしばしば相互扶助,連帯の感情が認められる。…
…商法の定める商業使用人の類型には,支配人(37条以下。現在の企業では店長,支店長など多様な名称が用いられている),番頭・手代その他営業に関するある種類または特定の事項の委任をうけた使用人(43条。部長,課長,係長,主任などが原則としてこれにあたる),物品販売店舗の使用人(44条)があり,それぞれ,支配人については営業に関する包括的代理権,番頭・手代等についてはある種類または特定の事項に関する代理権,物品販売店舗の使用人については当該店舗にある物品の販売についての代理権の存在が法律上擬制されている。…
※「番頭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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