久喜鉱山跡(読み)くきこうざんあと

日本歴史地名大系 「久喜鉱山跡」の解説

久喜鉱山跡
くきこうざんあと

[現在地名]瑞穂町久喜

久喜から大林おおばやしにかけての山間にあった鉱山。久喜大林鉱山とも称し、鉛・銅を産出した。建久元年(一一九〇)佐貫家の祖甚五右衛門利政が鉱脈を発見。近隣武将たちに注目されていたという。永禄年間(一五五八―七〇)毛利元就が石見銀山を直轄下に置いたが、当鉱山も毛利氏時代に盛んになった。同三年に温泉蒼ゆのそうの山に新鉱脈が発見され、その後大横屋おおよこやにも新鉱脈が発見され、盛んに採鉱されるようになった。盛時には久喜上千軒くきかみのせんげん久喜下千軒くきしものせんげんといわれたと伝える。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原合戦後は徳川氏直轄下に置かれ、大森銀山代官の支配となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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