堀藤十郎(読み)ホリ トウジュウロウ

20世紀日本人名事典 「堀藤十郎」の解説

堀 藤十郎
ホリ トウジュウロウ

明治・大正期の実業家



生年
嘉永6年6月18日(1853年)

没年
大正13(1924)年10月6日

出生地
石見国鹿足郡畑追村(島根県津和野町)

経歴
生家は鉱山家として代々、笹ケ谷鉱山を経営。津和野藩校の養老館に学ぶが、明治4年同校の廃校に伴って家業従事。8年23歳で家督を継ぎ、15代藤十郎を襲名した。以来、笹ケ谷をはじめ、山口・鳥取・京都・大阪などの各府県で鉱山事業を展開し、「中国の銅山王」の異名をとった。また、鉱山労働者とその家族のために25年には畑追病院を開設。大正3年には石見水力電気株式会社を設立し、発電所を建設するなど地域の発展にも寄与するところが大きかった。第一次大戦後、不況到来を見越して笹ケ谷と石ケ谷以外の全鉱山を売却。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀藤十郎」の解説

堀藤十郎 ほり-とうじゅうろう

1853-1924 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)6年6月18日生まれ。家業をつぎ,島根県笹ケ谷(ささがたに)などで鉱山を経営。明治25年畑迫(はたがさこ)に病院を設立,大正3年石見(いわみ)水力電気をおこすなど石見地方の発展につくした。大正13年10月6日死去。72歳。石見(島根県)出身。名は礼造。字(あざな)は礼助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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