久弐郷(読み)くにごう

日本歴史地名大系 「久弐郷」の解説

久弐郷
くにごう

古代の富士郡久弐郷(和名抄)の郷名を継承したとみられる中世の郷。富士郡下方しもかたのうち。久邇・久爾・国とも記される。比定地には諸説あるが、現富士市伝法でんぼう付近に比定するのが妥当であろう。弘安八年(一二八五)八月日付東大寺吉書案(東大寺文書)に「富士郡久弐郷五十戸」とみえ、かつて奈良東大寺の駿河国封戸があったという。永正一八年(一五二一)七月一〇日今川氏親は富士下方「久邇郷泰得寺領」の惣山(村山より「足鷹」に至る範囲)を渡辺春徳に与えている(「今川氏親判物写」今川記)。天文元年(一五三二)九月一九日、今川氏輝は「下方泰徳寺領」ほかを長善ちようぜん(現清水市)領として安堵している(「今川氏輝判物」長善寺文書)

久弐郷
くにごう

和名抄」諸本にみえる郷名。東急本に「久尓」の訓がある。天平七年(七三五)一〇月の平城京跡出土木簡(「平城宮木簡概報」二二―二三頁)に「久弐郷野上里」とみえる。年未詳の白布袍残闕(正倉院宝物銘文集成)に「駿河国富士郡久弐郷戸主□□□□調布壱端」と記されている。天暦四年(九五〇)一一月二〇日の東大寺封戸庄園并寺用帳(東南院文書)に「富士郡五十戸料、久弐郷」とみえ、当郷が奈良東大寺の封戸とされていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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