久我通久(読み)こが・みちつね

朝日日本歴史人物事典 「久我通久」の解説

久我通久

没年:大正14.1.10(1925)
生年天保12.11.28(1842.1.9)
幕末から大正時代にかけての華族,政治家。父は久我建通,母は松島。慶応3(1867)年10月,8月18日の政変で西下した七卿との義絶赦免を求めて六条有容らと上請。明治1(1868)年の鳥羽伏見の戦ののち,大和鎮台,大和国鎮撫総督兼内国事務掛となり,同年7月奥羽鎮定のため東北遊撃軍将として出征。翌2年賞典禄200石が下賜され,翌年3月,奥州・箱館鎮定のため鎮撫総督として仙台に赴く。同17年7月侯爵元老院議官,貴族院議員,東京府知事などを歴任。41年12月麝香間祗候。

(保延有美)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久我通久」の解説

久我通久 こが-みちつね

1842*-1925 幕末-大正時代の公卿(くぎょう),華族。
天保(てんぽう)12年11月28日生まれ。久我建通(たけみち)の長男。権(ごんの)中納言をへて,慶応4年(1868)権大納言戊辰(ぼしん)戦争では東北遊撃軍将をつとめた。維新後は元老院議官,宮中顧問官,東京府知事などを歴任。侯爵。貴族院議員。大正14年1月12日死去。85歳。名は「みちひさ」ともよむ。

久我通久 こが-みちひさ

こが-みちつね

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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