朝日日本歴史人物事典 「久我長通」の解説
久我長通
生年:弘安3(1280)
鎌倉末・南北朝期の公卿。父は太政大臣通雄,母は源仲基の娘。後中院と称される。永仁5(1297)年従三位に叙せられ,以降参議,権中納言,権大納言と進んだが,正和2(1313)年辞官。のち権大納言に復し,元徳2(1330)年内大臣となるが間もなく辞す。同年右大臣兼東宮傅となるがこれも辞す。その後,暦応3/興国1(1340)年太政大臣となり奨学院別当氏長者を兼ねた。翌年これも辞した。光厳上皇の院政下では,院の評定衆のひとりとして姿をみせており,北朝の有力公卿として中枢を担った人物であった。
(小森正明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報