(1)令(りょう)制の官職。太政(だいじょう)大臣、左(さ)大臣とともに太政官の中枢を構成。地位は左大臣に次ぐが、その職掌、官位相当とも左大臣と同じで、衆務を統理し、綱目を挙(あ)げ持(と)り、庶事を惣判(そうはん)することを任務とし、二品(にほん)、二位相当官である。『日本書紀』によれば、大化改新での新人事で、蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)が任ぜられたのが初見である。天智(てんじ)朝には官制として成立していたらしいが、大宝(たいほう)令制との異同は不詳。唐名の大保(たいほ)に比するのが一般的であるが、この官職名は日本独自のもので、その由来については前代の大臣(おおおみ)に関連するとの見方もあるが確証はない。奈良時代には太政官最高位に位置することも多かったが、平安時代に入るとその地位は名目化した。(2)明治初期の官制。1869年(明治2)、版籍奉還後の太政(だじょう)官制の改革により、左大臣とともに天皇を輔佐(ほさ)する最高官として設けられ、三条実美(さねとみ)が任ぜられた。71年、廃藩置県後の改革で一時廃官されたが、直後に再置され、太政大臣の下に置かれて、左大臣、参議とともに正院を構成し、岩倉具視(ともみ)が任ぜられた。85年内閣制度が成立し、廃された。
[佐藤宗諄]
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1右府とも。古代律令制の官職。太政官の長官の一つで,定員1人。職掌・相当位は左大臣と同じであるが,官としては左大臣の下位に位置した。藤原不比等(ふひと)をはじめ,太政大臣・左大臣欠員のまま,右大臣が首班として国政を領導した例も少なくない。藤原仲麻呂政権下の758年(天平宝字2)に大保(たいほ)と改称したが,764年旧に復した。
2明治維新政府で太政大臣・左大臣につぐ二位相当の官職。1869年(明治2)7月,職員令制定により設置。左大臣とともに職掌は,天皇輔佐・大政統理・官事総判とされた。71年7月の太政官制改定で一時廃止されたが,同8月正院に再設置。71年までは左大臣は空席だったため,右大臣三条実美(さねとみ)が事実上最高位を占め,71年以降83年まで岩倉具視(ともみ)が在任した。85年12月,内閣制度の創設にともない廃止。
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…令制太政官の筆頭官職名。律令国家の中央行政機構である太政官には最高官職として太政大臣,左・右大臣の3大臣が置かれていたが,太政大臣は原則として栄誉の官職で,左・右大臣が国家行政の責任者とされた。645年(大化1)左大臣に阿倍内麻呂,右大臣に蘇我倉山田石川麻呂が任じられたのが初例で,浄御原令,大宝令を経て大臣の制度が整備された。…
※「右大臣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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