右大臣(読み)ウダイジン

デジタル大辞泉 「右大臣」の意味・読み・例文・類語

う‐だいじん【右大臣】

律令制で、太政官長官太政大臣左大臣の次に位し、政務統理した。右府右丞相うしょうじょう右僕射うぼくや。みぎのおとど。みぎのおおいもうちぎみ。
明治初期の太政官制の官名。初め左大臣と並ぶ最高官であったが、のち太政大臣の下に置かれた。明治18年(1885)内閣制度発足廃止

みぎ‐の‐おおいもうちぎみ〔‐おほいまうちぎみ〕【右大臣】

うだいじん(右大臣)

みぎ‐の‐おとど【右大臣】

うだいじん(右大臣)

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精選版 日本国語大辞典 「右大臣」の意味・読み・例文・類語

う‐だいじん【右大臣】

  1. 〘 名詞 〙 太政官の官名。太政大臣、左大臣に次ぐ地位で、天皇を補佐して政務を統轄し、左大臣が空席または出仕不能の場合には、政務、儀式を総裁する職。明治時代になって、内閣制の実施とともに、廃された。みぎのおとど。みぎのおおいもうちぎみ。右相閤。右相国。右丞相右相府。右相。右府。右大閤。〔令義解(718)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「右大臣」の意味・わかりやすい解説

右大臣
うだいじん

(1)令(りょう)制の官職。太政(だいじょう)大臣、左(さ)大臣とともに太政官の中枢を構成。地位は左大臣に次ぐが、その職掌官位相当とも左大臣と同じで、衆務を統理し、綱目を挙(あ)げ持(と)り、庶事を惣判(そうはん)することを任務とし、二品(にほん)、二位相当官である。『日本書紀』によれば、大化改新での新人事で、蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)が任ぜられたのが初見である。天智(てんじ)朝には官制として成立していたらしいが、大宝(たいほう)令制との異同は不詳。唐名の大保(たいほ)に比するのが一般的であるが、この官職名は日本独自のもので、その由来については前代の大臣(おおおみ)に関連するとの見方もあるが確証はない。奈良時代には太政官最高位に位置することも多かったが、平安時代に入るとその地位は名目化した。(2)明治初期の官制。1869年(明治2)、版籍奉還後の太政(だじょう)官制の改革により、左大臣とともに天皇を輔佐(ほさ)する最高官として設けられ、三条実美(さねとみ)が任ぜられた。71年、廃藩置県後の改革で一時廃官されたが、直後に再置され、太政大臣の下に置かれて、左大臣、参議とともに正院を構成し、岩倉具視(ともみ)が任ぜられた。85年内閣制度が成立し、廃された。

[佐藤宗諄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「右大臣」の意味・わかりやすい解説

右大臣
うだいじん

(1) 律令制で,太政大臣,左大臣の次に位し,政務を統轄した。太政大臣,左大臣,右大臣を総称して三公という。唐の右丞相,右相府,右府などに相当する。正従二位相当官。職掌は左大臣と同じく太政官の政事,宮中の儀式を総裁した。大化1 (645) 年,蘇我倉山田石川麻呂が任じられたのが最初。天平宝字2 (758) 年,藤原仲麻呂の官名改易時に大保と称したが,まもなく旧名に復した。武家政権下では有名無実となった。

(2) 明治2 (1869) 年7月8日の職員令制定により,太政官に設けられた官職。左大臣とともに太政官の長官として天皇を補佐し,大政を統理し,官事を総判する任を負った。定員は1名,相当位は従一位または正二位。同4年7月 29日の官制改革により,一時その名称が消えたが,同年8月 10日の改革で再び,正院三職 (太政大臣,左・右大臣,参議をいう) の一つとして復活した。 1885年 12月 22日太政官達 69号による内閣制度の発足とともに廃止された。

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百科事典マイペディア 「右大臣」の意味・わかりやすい解説

右大臣【うだいじん】

律令制官職の一つ。太政(だいじょう)大臣左大臣とともに太政官の長官。太政官の政務を総理する。645年設置(蘇我石川麻呂が初例),1885年廃止。中世以後は家柄が固定した。
→関連項目九暦大臣内大臣

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「右大臣」の解説

右大臣
うだいじん

1右府とも。古代律令制の官職。太政官の長官の一つで,定員1人。職掌・相当位は左大臣と同じであるが,官としては左大臣の下位に位置した。藤原不比等(ふひと)をはじめ,太政大臣・左大臣欠員のまま,右大臣が首班として国政を領導した例も少なくない。藤原仲麻呂政権下の758年(天平宝字2)に大保(たいほ)と改称したが,764年旧に復した。

2明治維新政府で太政大臣・左大臣につぐ二位相当の官職。1869年(明治2)7月,職員令制定により設置。左大臣とともに職掌は,天皇輔佐・大政統理・官事総判とされた。71年7月の太政官制改定で一時廃止されたが,同8月正院に再設置。71年までは左大臣は空席だったため,右大臣三条実美(さねとみ)が事実上最高位を占め,71年以降83年まで岩倉具視(ともみ)が在任した。85年12月,内閣制度の創設にともない廃止。

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旺文社日本史事典 三訂版 「右大臣」の解説

右大臣
うだいじん

①律令の官制で,左大臣につぐ官職
②明治初期の太政官制上の官職
645年大化の改新で,蘇我倉山田石川麻呂が就任したのが最初。職掌・相当位は左大臣と同じ。
1869年太政官制がととのえられ,左大臣とともに最高官として設置された。一時中絶したがまもなく再設置。左大臣・参議とともに正院を構成した。'85年内閣制度の創設により廃止。

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改訂新版 世界大百科事典 「右大臣」の意味・わかりやすい解説

右大臣 (うだいじん)

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世界大百科事典(旧版)内の右大臣の言及

【左大臣・右大臣】より

…令制太政官の筆頭官職名。律令国家の中央行政機構である太政官には最高官職として太政大臣,左・右大臣の3大臣が置かれていたが,太政大臣は原則として栄誉の官職で,左・右大臣が国家行政の責任者とされた。645年(大化1)左大臣に阿倍内麻呂,右大臣に蘇我倉山田石川麻呂が任じられたのが初例で,浄御原令,大宝令を経て大臣の制度が整備された。…

※「右大臣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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