日本歴史地名大系 「久手村」の解説 久手村くてむら 岐阜県:大野郡丹生川村久手村[現在地名]丹生川村久手小八賀(こはちが)川沿いの平湯(ひらゆ)街道で旗鉾(はたほこ)村の東に続き、南は池之俣(いけのまた)村、東は平湯峠(標高一六八四メートル)で吉城(よしき)郡平湯村(現上宝村)に続く。村名は平湯に越える山中に湫(くて)(久)があることによるという(斐太後風土記)。元禄飛騨国検地反歩帳に村名がみえ、高一一石余、畑六町余。「飛騨国中案内」によれば免は四割一分二厘、家数一六(すべて百姓)。天明八年(一七八八)の高一一石余・反別田畑六町余、家数一六・人数八六、牛五、猟師鉄砲一(村明細帳)。 久手村きゆうでむら 岩手県:遠野市久手村[現在地名]遠野市土渕町柏崎(つちぶちちようかしわざき)片岸(かたぎし)村の北、栃内(とちない)村の南西、小烏瀬(こがらせ)川左岸沿いにある。村名はアイヌ語で断崖を意味するという(土渕村誌)。寛永四年(一六二七)の南部利直知行宛行状(三翁昔語)によれば、久手村の高一九石余が八戸弥六郎直義(遠野南部氏)知行地となった。元禄十郡郷帳には栃内村に入ると記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by