久永保・久永庄(読み)ひさながほ・ひさながのしよう

日本歴史地名大系 「久永保・久永庄」の解説

久永保・久永庄
ひさながほ・ひさながのしよう

現石見町矢上やかみ井原いばらとその周辺一帯に比定される。文治二年(一一八六)一〇月一日の源頼朝書状(黒川本賀茂注進雑記)に「石見国久永庄事、任申状所令御気色候也」とある。「吾妻鏡」同日条によると、京都上賀茂社領「石見国久永保」は源頼朝の帰依により同社に寄進されたという。寛元二年(一二四四)六月三日の六波羅下知状(賀茂別雷神社文書)では、久永に対する守護使の入部停止と大番役以外の諸役免除が守護代に伝えられており、同下知状が引く承元二年(一二〇八)一〇月一五日の関東下知状案には、頼朝の寄進後は社家の進止の地であったとみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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