日本歴史地名大系 「久池井村」の解説 久池井村くちいむら 佐賀県:佐賀郡大和町久池井村[現在地名]大和町大字久池井字久池井北に川上(かわかみ)峡谷をひかえる川上扇状地に立地し、南は低平な平野が広がり、佐賀―川上を結ぶ川上往還上にある。古くは朽井と書き、近世に久池井と書かれるようになった。久池井村の範囲は、文書に尊光(そんこう)寺(廃寺)や玉林(ぎよくりん)寺が朽井村とあることから、春日(かすが)や出羽(でわ)を含んだ広範囲な地域をさしていたと考えられる。文永八年(一二七一)国分忠俊の高城(こうじよう)寺への寺領寄進状(高城寺文書)に「奉寄進 筥崎御領肥前国朽井内山野并田畠等事」とあり、朽井が筥崎(はこざき)八幡宮(現福岡市)の荘園であったことと国分忠俊が肥前国朽井地頭を名乗っていることがわかる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報