精選版 日本国語大辞典 「久留米城」の意味・読み・例文・類語 くるめ‐じょう‥ジャウ【久留米城】 福岡県久留米市にあった平山城。天正一五年(一五八七)毛利秀包(ひでかね)が創築。慶長年間(一五九六‐一六一五)田中吉政が修築。元和七年(一六二一)有馬豊氏が入封、明治に至る。現在は石垣と濠(ほり)とを残す。篠山城。篠原城。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の城がわかる事典 「久留米城」の解説 くるめじょう【久留米城】 福岡県久留米市にあった平山城(ひらやまじろ)。市街西北の丘の上に築かれ、筑後川が西から南へと大きく蛇行(だこう)し宝満川(ほうまんがわ)と合流する左岸地点に位置する。永正年間(1504~21年)、土豪が砦を築いたのが始まりで、1587年(天正15)、豊臣秀吉の九州国割により毛利秀包(もうりひでかね)が入封、1600年(慶長5)の関ヶ原の戦い以後は、本城の柳川城に田中吉政が入封、その支城の久留米城に吉政の次男、吉信が配された。その後、坂本和泉、立花宗茂(むねしげ)と続き、福知山城から移封の有馬豊氏が11代にわたってこの地を治め明治に至っている。現在は本丸石垣、内濠を残し、城内には、篠山神社、有馬記念館がある。JR鹿児島本線久留米駅から北東に約800m。または、西鉄バスで「大学病院前」下車、徒歩2分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報