朝日日本歴史人物事典 「有馬豊氏」の解説
有馬豊氏
生年:永禄12(1569)
江戸初期の大名,筑後国久留米藩(福岡県)藩主。播磨国(兵庫県)三木に有馬則頼の次男として生まれる。母は別所志摩守忠治の娘お振。幼名万助。従五位下玄蕃頭,従四位下侍従。初め豊臣秀吉に仕え3000石,その後加増され3万石を領す。秀吉死後は徳川家康に仕え,慶長5(1600)年家康の養女連姫(松平康直の娘)を妻とし,同年関ケ原の戦では東軍に属し,丹波国福知山6万石を得る。同7年には父の遺領摂津国有馬2万石を加えられ,元和6(1620)年筑後国久留米21万石に移封された。戦乱にあけくれた生涯であったが,茶人としても有名で,利休七哲のひとりである。<参考文献>『久留米市史』2巻
(福田千鶴)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報