日本歴史地名大系 「久遠村」の解説 久遠村くどおむら 北海道:檜山支庁大成町久遠村明治一四年(一八八一)から同三五年までの村。明治一四年一艘澗(いつそうま)村・日方泊(ひかたとまり)村・三艘澗(さんそうま)村が合併し久遠村が成立。旧村名は大字となる。同年の戸数五六、七戸、人口二〇五余。日方泊は久遠郡中一番の停泊場で、函館―瀬棚(せたな)(現瀬棚町)を結ぶ汽船が旅客・貨物を積み寄港した。久遠郡外三郡(奥尻・太櫓・瀬棚)役所が一艘澗に置かれ、また戸長役場が置かれるなど郡の中心地として移住者も多かった。同二三年郡役所は一艪澗村から上古丹(うえこたん)村に至る地続きの高台に移され、同所は市街地区画され宮古(みやこ)町(現字都)とされたが、翌年郡役所が廃止(檜山郡外四郡役所に所属)されると次第に衰微したという(状況報文)。 久遠村くどおむら 北海道:檜山支庁大成町久遠村明治三五年(一九〇二)から昭和三〇年(一九五五)までの久遠郡の自治体名。明治三五年久遠村・太田(おおた)村・上古丹(うえこたん)村・湯尻(ゆのしり)村が合併して二級町村として成立。旧村名の四大字を設置。同年の戸数五八二・人口三千三六四(「町村別戸口表」市立函館図書館蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by