日本歴史地名大系 「乙女河岸」の解説 乙女河岸おとめかし 栃木県:小山市乙女村乙女河岸[現在地名]小山市乙女思(おもい)川左岸に設けられた河岸。日光道中宿村大概帳によると、街道より八町で、現在の乙女橋下流左岸に位置し、字川岸(かし)・下川岸の名が残る。慶長五年(一六〇〇)徳川家康が会津の上杉景勝を攻めた際、当地は物資の陸揚場となったという(日光道中略記)。このとき小山宿に在陣していた家康は石田三成の挙兵を知り、小山評定において三成攻撃を決定した。同年八月四日早朝に小山を発した家康は、折からの大雨により武蔵栗橋(くりはし)(現埼玉県北葛飾郡栗橋町)の舟橋が流されていたため当河岸から船に乗り、五日に江戸に帰っている。元和二年(一六一六)から翌年の日光東照社造営の際には資材の陸揚河岸となり、以後、東照宮修復の際の陸揚河岸となり「御用河岸」と称された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報