日本歴史地名大系 「乙島村」の解説 乙島村おとしまむら 岡山県:倉敷市旧玉島市地区乙島村[現在地名]倉敷市玉島乙島(たましまおとしま)・玉島(たましま)一―三丁目西高梁(にしたかはし)川河口右岸に位置し、北は玉島新田村と接する。寛永備中国絵図では高二〇〇石、備中松山藩領。村域は島嶼として描かれていて、その北西部に玉島湊がある。元禄六年(一六九三)の松山藩水谷氏断絶後は幕府領となり、検地後の同八年の旧松山領新高帳(羽場文書)では古高六四〇石余・新高八六〇石余とある。備中元禄古図(野上家蔵)には枝村として井(い)ノ浦(うら)塩浜八八石余がみえる。正徳四年(一七一四)の備中一国重宝記では遠州浜松藩領、「備中村鑑」では幕府領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報