九戸政実の乱(読み)くのへまさざねのらん

改訂新版 世界大百科事典 「九戸政実の乱」の意味・わかりやすい解説

九戸政実の乱 (くのへまさざねのらん)

16世紀末陸奥国に起きた争乱。1591年(天正19)3月,三戸城主南部信直の一族九戸政実が櫛引清長らとともに反した。上洛した信直の報告に接した豊臣秀吉は,豊臣秀次徳川家康を総大将,浅野長政軍監として蒲生氏郷・伊達政宗・石田三成以下を派遣した。奥羽諸軍を加え6万ともいう大軍に包囲された政実は,誘降の謀計にかかり9月4日降伏したが,城兵5000はなで斬りにされ,政実らは護送の途中斬罪とされた。これより先1580年南部晴政の跡を信直が継いで以来,信直と政実は緊張関係にあった。前年の〈奥羽仕置〉の秀吉朱印状に記された,信直の宗主権公認,検地と領内諸城破却,家中妻子の三戸集住のことが推進されるなかで,政実は挙兵に踏みきったが,信直はこれを天下秀吉への反乱として中央軍の手で鎮圧する道をとったのである。この乱を最後に〈奥羽仕置〉反対一揆・反乱の動きは鎮静させられた。
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