南部信直(読み)なんぶのぶなお

改訂新版 世界大百科事典 「南部信直」の意味・わかりやすい解説

南部信直 (なんぶのぶなお)
生没年:1546-99(天文15-慶長4)

戦国末期の武将陸奥三戸(さんのへ)城主(現,青森県三戸町)。南部氏一族高信の子。1582年(天正10)本家をつぎ三戸城主となる。90年豊臣秀吉より南部の内7郡を安堵される。翌年九戸政実の乱平定にさいして和賀,稗貫(ひえぬき),志和3郡を加増され,都合10郡,10万石を領す。その後盛岡城(現,岩手県盛岡市)築城に着手するなど近世における盛岡藩の基礎を築く。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「南部信直」の解説

南部信直 なんぶ-のぶなお

1546-1599 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)15年3月1日生まれ。陸奥(むつ)三戸(さんのへ)城(青森県)城主南部晴政の養子となり,天正(てんしょう)10年三戸城主。のち豊臣秀吉との連携をつよめる。19年九戸城(岩手県)を再興,福岡城と称し本城とする。文禄(ぶんろく)元年秀吉より盛岡城築城の許可をえる。文禄の役で肥前名護屋城(佐賀県)に赴任。陸奥盛岡藩藩祖。慶長4年10月5日死去。54歳。通称は田子九郎。

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世界大百科事典(旧版)内の南部信直の言及

【南部氏】より

…しかし戦国期の南部氏では,宗家の三戸家のほかに八戸,九戸などの一族が独立的な勢力として存在し,対立,紛争が続いていた。90年(天正18)三戸の南部信直が豊臣秀吉から南部7郡(三戸,二戸,九戸,北,鹿角,岩手,閉伊)の領有を認められ,翌年一族の九戸政実の反乱を豊臣秀次以下の豊臣勢の出兵を得て克服し,豊臣大名ついで近世大名としての地位を確保した。その間居城を三戸から福岡(九戸),不来方(こずかた)(盛岡市)へと移すが,不来方築城には信直,利直,重直の3代を要し,着手は92年(文禄1),完成は1633年(寛永10)といわれる。…

【和賀・稗貫一揆】より

…1590年(天正18)陸奥国に起きた一揆。同年7月,豊臣秀吉による南部信直に対する〈南部内七郡〉宛行によって,和賀・稗貫両郡は南部領に編入され,和賀・稗貫両氏は従来の領主権を失った。同年10月葛西・大崎氏の旧領に一揆が蜂起したのに続いて,和賀義忠と稗貫広忠は一族以下を率い,鬼柳伊賀守らをさそって,稗貫郡鳥谷ヶ崎(とやがさき)城に秀吉麾下の浅野庄左衛門重吉を攻囲した。…

※「南部信直」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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