朝日日本歴史人物事典 「南部信直」の解説
南部信直
生年:天文15(1546)
戦国・安土桃山時代の武将。陸奥国糠部郡田子城(青森県田子町)城主南部高信の子。永禄8(1565)年ごろに本家の三戸城主南部晴政の養子となり,晴政の娘を正室とする。正室らの死去により,一時田子城に戻ったが,晴政らの死により,天正10(1582)年再度三戸城主に返り咲いた。このころの南部氏の領国は本領の糠部郡を中心として,北は津軽,西は鹿角,南は岩手,閉伊郡などにおよんでいたが,必ずしも安定したものではなかった。このため信直は領国の安定と,他氏に蚕食された所領の奪還のため各地に出兵した。さらに中央政権とも巧みに連携する動きをみせる。すなわち14年家臣を前田利家のもとに送り,豊臣秀吉との繋がりを依頼し,翌年に利家の血判誓紙を得て,それを成功させている。だが18年の秀吉の小田原攻めののち,信直に安堵されたのは「南部内七郡」だけであった。翌年九戸政実の反乱を平定したのち,稗貫,和賀の両郡が与えられて,9郡10万石の大名となった。九戸城(岩手県二戸市)を再興して福岡城となし本城とした。
(伊藤喜良)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報