…近世大名。元来は紀伊熊野地方の豪族。その祖は熊野別当長快とも,藤原隆信とも言う。紀伊九木浦を本拠とし,南北朝期には志摩国にもその勢力を及ぼし,戦国期,嘉隆は初め北畠氏,後に織田信長,豊臣秀吉に属して水軍の将として活躍,志摩国一円を支配した。子守隆は関ヶ原の戦で東軍につき加増,鳥羽に5万5000石を安堵された。子孫は摂津三田3万6000石と丹波綾部2万石に分かれ,幕末に至る。維新後ともに子爵。【加藤 真理子】…
…安土桃山時代の武将。右馬允,大隅守と称す。志摩国田木城主宮内大輔定隆の次男。志摩波切を根拠として付近の土豪を制圧し,勢力を伸ばした。初めは伊勢国司北畠氏に属したが,永禄末年より織田信長に従い,1569年信長の北伊勢攻略の際の功により志摩一国を与えられたという。その後は,長島の一向一揆攻撃,石山本願寺攻撃等に配下の海賊衆を率いて参加,海路をふさぐなどして活躍した。信長の死後は豊臣秀吉の下で,文禄・慶長の役等に水軍の将として功をあらわした。…
※「九鬼守隆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...