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乾山焼 ケンザンヤキ

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デジタル大辞泉の解説

けんざん‐やき【乾山焼】

元禄(1688~1704)のころ、尾形乾山が京都の鳴滝(なるたき)で焼きはじめた楽焼き風の陶器。琳派(りんぱ)の画風を意匠化した、雅味のある絵付けが特色。

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大辞林 第三版の解説

けんざんやき【乾山焼】

尾形乾山が京都の鳴滝村で焼き始めた楽焼きに似た陶器。琳派風の清新・洒脱な絵付けを特徴とする。

出典|三省堂
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世界大百科事典内の乾山焼の言及

【尾形乾山】より

…光琳の絵付け,乾山の詩賛のある銹絵黄山谷観鷗図角皿や銹絵芦鶴図角皿,また〈元禄年製〉銘のある釉下着彩の色絵切紙文四方皿などがこの期の代表作である。その後1712年(正徳2)泉谷から洛中の二条丁字屋町へ移り,粟田口や五条坂の窯を借りて懐石道具などを量産し,〈乾山焼〉と称して手広く販売し,洛中の人気を集めた。しかし享保(1716‐36)のころ江戸に下向し,寛永寺領入谷で窯を開き,37年(元文2)には下野(しもつけ)(栃木県)佐野に招かれて作陶した。…

【京焼】より

…その典雅で純日本的な意匠と作風の陶胎色絵は,粟田口,御菩薩池(みぞろがいけ),音羽,清水,八坂,清閑寺など東山山麓の諸窯にも影響を及ぼし,後世〈古清水(こきよみず)〉と総称される色絵陶器が量産され,その結果,京焼を色絵陶器とするイメージが形成された。一方,1699年(元禄12)仁清の陶法を伝授され洛西鳴滝の泉山に窯を開いた尾形深省(尾形乾山)は,兄光琳の絵付や意匠になる雅陶を製作し,〈乾山(けんざん)焼〉として広く知られた。初期の京焼は,これら仁清の御室焼や古清水,乾山の雅陶などによって特徴づけられ,瀟洒(しようしや)な造形感覚,典雅な絵付や意匠によって最初の黄金期をむかえた。…

※「乾山焼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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