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亀寿 かめじゅ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

亀寿 かめじゅ

1571-1630 織豊-江戸時代前期,島津家久の妻。
元亀(げんき)2年4月26日生まれ。島津義久の3女。天正(てんしょう)15年島津氏が豊臣秀吉に降伏したあと,母妹らと人質として京都にすむ。のち鹿児島にもどり,叔父島津義弘の次男久保(ひさやす)と結婚。久保の死後,久保の弟家久(のち鹿児島藩初代藩主)と結婚した。寛永7年10月5日死去。60歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

亀寿

没年:寛永7.10.5(1630.11.9)
生年:元亀2.4.26(1571.5.19)
安土桃山・江戸時代初期の武家の女性。父は島津義久,母は種子島時尭の娘。島津家久(忠恒)の妻。夫家久は父義久の従兄弟島津義弘の子。義弘は天正19(1591)年豊臣秀吉に高麗への渡海を命じられ,渡海しない一族家臣の者も妻子を大坂,次いで京都に置くよう指示された。この苦労に対し,亀寿には慶長4(1599)年義弘から薩摩国串木野村(鹿児島県串木野市)など5000石の地が,翌年父義久から大隅国大根占村(鹿児島県大根占町)2700石余の地が無公役として与えられた。のちには高1万石を一代無公役とされたようである。「人質」の立場に置かれながら,京都からさまざまな情報をもたらし,島津氏の近世大名への転身に貢献した。<参考文献>『島津家文書

(田端泰子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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