亀山藩〈伊勢国〉(読み)かめやまはん

藩名・旧国名がわかる事典 「亀山藩〈伊勢国〉」の解説

かめやまはん【亀山藩〈伊勢国〉】

江戸時代伊勢(いせ)国鈴鹿(すずか)郡亀山(現、三重県亀山市)に藩庁をおいた、初め外様(とざま)藩、のち譜代(ふだい)藩。藩校は明倫舎(めいりんしゃ)(のち明倫館)。関ヶ原の戦いの翌1601年(慶長(けいちょう)6)、関一政(せきかずまさ)が旧領復帰を許されて3万石で立藩した。10年に一政伯耆(ほうき)国黒坂藩へ移封(いほう)されたあとは、譜代の松平(奥平)忠明(ただあきら)、三宅康信(みやけやすのぶ)以下2代、本多(酒井)俊次(としつぐ)、石川憲之(のりゆき)、板倉重常(しげつね)以下3代、松平(大給(おぎゅう))乗邑(のりさと)、再封の板倉重治(しげはる)以下2代と、1万石から6万石で転入封が繰り返された。1744年(延享(えんきょう)1)に、備中(びっちゅう)国松山藩から石川総慶(ふさよし)が6万石で入封、以後この第2次石川氏が定着し、明治維新まで11代続いた。9代総禄(ふさよし)、10代総脩(ふさのぶ)のとき、亀山茶のもとがつくられ、また養蚕が奨励された。1871年(明治4)の廃藩置県で亀山県となり、その後、安濃津(あのつ)県を経て翌年三重県に編入された。

出典 講談社藩名・旧国名がわかる事典について 情報

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