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亀泉集証 きせん しゅうしょう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

亀泉集証 きせん-しゅうしょう

1424-1493 室町時代の僧。
応永31年生まれ。美作(みまさか)(岡山県)の人。京都の臨済宗(りんざいしゅう)相国寺季瓊真蘂(きけい-しんずい)の法をつぐ。将軍足利義政に信任され,相国寺の蔭涼(いんりょう)職をつとめ,公用日記「蔭涼軒日録」の文明16-明応2年の部分を筆録した。明応2年9月27日死去。70歳。俗姓は後藤。別号に松泉,松岳

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朝日日本歴史人物事典の解説

亀泉集証

没年:明応2.9.27(1493.11.6)
生年:応永31(1424)
室町時代の臨済宗の僧。美作国(岡山県)の赤松氏被官後藤氏の出身。蔭涼軒主として五山官寺を統轄し,幕府の政治に力をふるった季瓊真蘂の弟子となり法を嗣ぎ(一山派),応仁の乱(1467)では季瓊と共に近江へ逃れた。益之宗箴の後任で蔭涼職につき,約10年の間,五山統轄の事務に当たり足利義政の信任厚かった。また詩文を瑞渓周鳳らに学び能書でも知られた。諸山西禅寺,十刹聖福寺,天竜寺の坐公文(住持の称号)を受ける。その日記は『蔭涼軒日録』の大部分を占め,中世禅宗史はもとより室町時代の政治史の重要史料である。

(原田正俊)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の亀泉集証の言及

【蔭涼軒日録】より

…〈おんりょうけんにちろく〉とも読みならわす。前半の1435‐41年(永享7‐嘉吉1)と1458‐66年(長禄2‐文正1)が季瓊真蘂(きけいしんずい),後半の1484‐93年(文明16‐明応2)が亀泉集証(きせんしゆうしよう)の筆録である。また,《鹿苑日録》中に〈鹿苑院古文案〉として継之景俊(けいしけいしゆん)の日録が断片的に残っている。…

※「亀泉集証」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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