朝日日本歴史人物事典 「亀泉集証」の解説
亀泉集証
生年:応永31(1424)
室町時代の臨済宗の僧。美作国(岡山県)の赤松氏被官後藤氏の出身。蔭涼軒主として五山官寺を統轄し,幕府の政治に力をふるった季瓊真蘂の弟子となり法を嗣ぎ(一山派),応仁の乱(1467)では季瓊と共に近江へ逃れた。益之宗箴の後任で蔭涼職につき,約10年の間,五山統轄の事務に当たり足利義政の信任厚かった。また詩文を瑞渓周鳳らに学び能書でも知られた。諸山西禅寺,十刹聖福寺,天竜寺の坐公文(住持の称号)を受ける。その日記は『蔭涼軒日録』の大部分を占め,中世禅宗史はもとより室町時代の政治史の重要史料である。
(原田正俊)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報