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季瓊真蘂 きけいしんずい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

季瓊真蘂
きけいしんずい

[生]応永8(1401).京都?
[没]文明1(1469).8.11. 京都
室町時代の臨済宗の僧。赤松氏一族上月氏の出身。惟肖得巌,西胤俊承らから教えを受け,叔英宗播の法を継いで相国寺鹿苑院内の将軍の小御所である蔭涼軒で,その留守役をつとめ,蔭涼軒主と称し鹿苑僧録を補佐して権勢を誇った。嘉吉の乱 (1441) で出身赤松氏が没落すると季瓊も一時失脚したが,再び政治的勢力を回復し,応仁の乱の陰の誘発者の一人といわれている。乱を避けて近江水口から伊勢におもむいたが,そのときの詩が『諸賢雑文』のなかに収められて残っている。『蔭涼軒日録』のなかで,永享7 (35) ~文正1 (66) 年の分は彼の日記である。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

季瓊真蘂 きけい-しんずい

1401-1469 室町時代の僧。
応永8年生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)の人。京都の臨済宗(りんざいしゅう)相国寺叔英宗播(しゅくえい-そうばん)の法をつぎ,同寺蔭涼軒(いんりょうけん)の蔭涼職につく。嘉吉(かきつ)の乱でしりぞくが,将軍足利義政の命で再任され幕政にも介入し,応仁の乱の一因をつくったといわれる。公用日記「蔭涼軒日録」の一部を筆録した。文明元年8月11日死去。69歳。俗姓上月別号に雲沢,松泉など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

季瓊真蘂

没年:文明1.8.11(1469.9.16)
生年:応永8(1401)
室町前期の臨済宗の僧。播磨国(兵庫県)の赤松氏一族上月氏の出身。法を叔英宗播に嗣ぐ(一山派)。足利義教の命で鹿苑院僧録の補佐となり五山官寺を統轄し,後世,蔭涼職(相国寺内蔭涼軒の軒主職)と呼ばれた。しかし赤松満祐による将軍義教暗殺の嘉吉の乱(1441)が起こり,その一族であることから一時職を退いた。義政の代になり長禄2(1458)年復権して政治力をふるい始め,政所執事伊勢貞親と共に守護大名の継嗣問題などにも容喙し,応仁の乱(1467)が起こる原因のひとつをなしたとされる。文正1(1466)年失脚して近江国(滋賀県)に逃れるが,義政の信任厚く,応仁2(1468)年上洛し,相国寺に戻った。同寺内雲頂院に住し,院内に雲沢軒,七条柳原に禅仏寺を開いた。日記として『季瓊日録』(『蔭涼軒日録』に所収)があり,室町時代の政治史の重要史料とされている。

(原田正俊)

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世界大百科事典 第2版の解説

きけいしんずい【季瓊真蘂】

1401‐69(応永8‐文明1)
室町中期の臨済宗一山派の僧。相国寺雲頂院の叔英宗播(しゆくえいそうは)の法嗣。俗姓は播磨国赤松氏の一族上月氏。1435年(永享7)蔭涼(いんりよう)職(相国寺内蔭涼軒の軒主職)に任じられる。41年赤松満祐が将軍足利義教を暗殺した嘉吉の乱で俗縁によって退職,58年(長禄2)復任した。66年(文正1)伊勢貞親とともに斯波氏の内紛に介入するなど応仁の乱の一因を作って失脚,近江牛口山に退居した。68年(応仁2)足利義政の命に従って上洛する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

季瓊真蘂
きけいしんずい
(1401―1469)

室町時代の臨済宗一山(いっさん)派の禅僧。播磨国(はりまのくに)赤松一族の上月氏の出身。相国寺(しょうこくじ)の叔英宗播(しゅくえいそうは)(?―1441)に師事してその法を継ぎ、雲頂院主となった。1435年(永享7)相国寺鹿苑院(ろくおんいん)の将軍休息所蔭凉軒(いんりょうけん)の留守役(蔭凉職(いんりょうしき))となり、披露(ひろ)奉行役などを務めてしだいに勢力を得、同軒主を自称し、幕政に口を出して応仁・文明の乱の原因をつくったといわれる。天龍寺住持の坐公文(いなりのくもん)(禅宗寺院のなかの官寺の住持を任命する文書)を受けた。1469年(文明元)8月11日没。『蔭凉軒日録』の一部は季瓊真蘂の日記である。[今枝愛眞]

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世界大百科事典内の季瓊真蘂の言及

【蔭涼軒】より

…彼は鹿苑僧録司に属し,将軍と僧録司の間にあって伝達披露の役割をつとめた。その最初の人物は仲方中正であったが,1435年季瓊真蘂(きけいしんずい)に代わると,真蘂は蔭涼軒主を僭称し,僧事全般の披露奉行を行うことにより,僧録司をしのぐ勢力を持つようになり,蔭涼職と呼ばれる官職名が生じた。蔭涼職は蔭涼軒が焼失してからも存続し,1615年(元和1)に至って鹿苑僧録司とともに廃された。…

※「季瓊真蘂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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