スフォルツァ家(読み)スフォルツァけ(英語表記)Sforza イタリア語

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スフォルツァ家」の意味・わかりやすい解説

スフォルツァ家
スフォルツァけ
Sforza

15世紀中頃から 16世紀初めにかけてミラノを支配したイタリア貴族の家系。その祖ムツィオ・アッテンドロ (1369~1424) はスフォルツァ (威服者) と呼ばれ,コンドッティエーリ (傭兵隊長) としてミラノ,ナポリの諸国に仕えた。その子フランチェスコ (スフォルツァ,F.) はミラノ公ビスコンチの娘と結婚し,ビスコンチの死後,ミラノ公となり (50) ,さらにジェノバ支配下においた。彼の没後,息子のガレアッツォ・マリア (44~76) が跡を継ぎ,専制的な統治を行なったが,1476年ジェノバの反乱で暗殺された。続いて彼の子ジャン・ガレアッツォ (69~94) が継いだが,94年叔父ルドビーコ・イル・モロ (52~1508) に政権を奪われた。おりからミラノはフランスのシャルル8世およびルイ 12世の侵入を受けてこれと交戦したが,ルドビーコは 1500年フランス軍に捕えられ,08年死亡。彼の子マッシミリアーノ (1493~1530) が 12年フランスからミラノを奪回したが,15年のマリニャーノの戦いでフランス王フランソア1世に敗れ,パリに亡命。このあとフランチェスコ2世 (1495~1535) がフランソア1世と抗争しながら 21年以来断続的にミラノ公として統治した。しかし 35年に今度はスペインの支配下に落ちて,この年を最後スフォルツァ家のミラノ支配は終了した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「スフォルツァ家」の意味・わかりやすい解説

スフォルツァ家
すふぉるつぁけ
Sforza イタリア語

ルネサンス期イタリア、ミラノの名家。ほぼ1450~1535年の間ミラノ公。家を興したのは、農民出身の傭兵(ようへい)隊長ムツィオ・アッテンドロMuzio Attendolo(1369―1424)。その豪胆さゆえに暴れ者(スフォルツァ)とあだ名された。その子フランチェスコFrancesco Sforza(1401―66)も知勇に優れ、イタリア屈指の傭兵隊長として地位を確立、ビスコンティ家のミラノ追放後共和国が樹立されると、これを征服し、自らミラノ公の座についた(1450)。彼は有能な政治家で、同地方の産業、文化の発展およびイタリアの政治的安定にも貢献した。その死後、長男のガレアッツォ・マリーアGaleazzo Maria(1444―1476)がミラノ公を継ぎ(1466)、さらには次男のルドビコ・イル・モロLudovico Sforza, Il Moro(1452―1508)が摂政(せっしょう)を経てミラノ公になった(1494)。しかしルドビコは保身のため外国勢力をイタリアに招くという愚挙を犯し、結局は自らもルイ12世によりミラノを追われた(1499)。以後スフォルツァ家はルイ12世、カール5世傀儡(かいらい)としてミラノ公の地位を保つが、1535年、公国は後者の領土に併合され、同家は没落した。

[在里寛司]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android