日本歴史地名大系 「亀甲町」の解説 亀甲町かめのこうまち 青森県:弘前市弘前城下亀甲町[現在地名]弘前市亀甲町城の北の丸を囲む形で堀に沿って町並が延び、東は田茂木(たもぎ)町、北は若党(わかどう)町・祢宜(ねぎ)町と接する。元和五年(一六一九)の川中島(かわなかじま)(現長野県長野市)転封問題に際し、二代藩主津軽信枚に臣従を誓った八三騎のなかに、亀甲町庄吉の名があり、この時に町は存在した。正保三年(一六四六)の津軽弘前城之絵図(内閣文庫蔵)には、町屋・小人町として町割がされ町名はない。慶安二年(一六四九)の弘前古御絵図(市立弘前図書館蔵)で、初めて町名が明記され、町内には商家二二、煙草作一〇、大工四その他の職業構成で、商業を主体とした町並であった。貞享四年(一六八七)の津軽信政閉門事件では、銅屋(どうや)町・茂森(しげもり)町とともに閉門期間中に日市を開くことを認められている(永禄日記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by