二ッ堂村(読み)ふたつどうむら

日本歴史地名大系 「二ッ堂村」の解説

二ッ堂村
ふたつどうむら

[現在地名]豊浦町二ッ堂

北はたけはな村、東は切梅きりうめ村、南はいけはた村、西は北蓑口きたみのぐち(現新発田市)。戦国末期、新発田しばた城主新発田重家が上杉景勝反旗を翻した新発田合戦の戦場となったといわれる(二ッ堂村誌)。慶長三年(一五九八)新発田藩領となり、同年頃の御領内高付帳(新発田市史資料)に蓑口村(現新発田市)と併記して、二六三石九斗九升とある。同一〇年の給知方村々高目録(同資料)には蓑口二堂村とみえ、毛付二一七石三升余・荒七六石四升余。同一五年頃の給知方ほど役帳(同資料)によれば、三斗五升の炉役が二軒に課されている。寛永五年(一六二八)藩は領内を検地し、新田一万五千石を打出したが、藩主溝口宣直はうち四千五〇〇石を弟の左京宣知に分知した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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