日本大百科全書(ニッポニカ) 「二七年テーゼ」の意味・わかりやすい解説
二七年テーゼ
にじゅうしちねんてーぜ
1927年(昭和2)に決定されたコミンテルンの日本に関する方針書。正式表題は「日本問題に関する決議」。1926年12月の日本共産党第3回大会は、セクト主義的な福本イズムが指導方針となった。コミンテルンは日本共産党の代表をモスクワに招集し、この誤りを克服しようとした。コミンテルンと日本共産党の代表との協議で翌年7月に採択されたのが二七年テーゼである。二七年テーゼは、日本帝国主義による中国侵略戦争の切迫という情勢の下で、戦争へと進みつつある日本資本主義の矛盾を分析し、当面する日本革命の性格と日本共産党の任務を明らかにした。テーゼの最大の歴史的意義は、「君主制の廃止」による民主主義革命を強調するとともに、日本帝国主義の中国侵略を鋭く予見し、これを厳しく糾弾した点であった。テーゼは右翼日和見(ひよりみ)主義の山川主義と左翼日和見主義の福本主義を批判し、綱領的文書としては、初めて日本の革命運動に統一戦線の課題を提起した。しかし、コミンテルンの「社会民主主義主要打撃論」が反映したセクト主義、党防衛、スパイ挑発政策に対する警戒と闘争に十分な注意を払わないという弱点をもっていた。
[犬丸義一]
『日本共産党中央委員会『日本共産党の六十年』(1982・日本共産党中央委員会出版局)』