田坂具隆(読み)タサカトモタカ

デジタル大辞泉 「田坂具隆」の意味・読み・例文・類語

たさか‐ともたか【田坂具隆】

[1902~1974]映画監督広島の生まれ。ヒューマニズムを基調とする作風が特徴代表作五人の斥候兵」「路傍の石」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「田坂具隆」の意味・わかりやすい解説

田坂具隆
たさかともたか
(1902―1974)

映画監督。広島県生まれ。第三高等学校中退。1924年(大正13)日活大将軍撮影所入社、『かぼちゃ騒動記』(1926)で監督となる。初期には、活劇や『しゃぼん娘』(1927)などの明るい幻想的な喜劇、『心の日月』(1931)などのメロドラマをつくる。トーキー以後、真摯(しんし)なリアリズムの作風を展開、『真実一路』(1937)、『五人の斥候兵(せっこうへい)』(1938)、『路傍の石』(1938)、『土と兵隊』(1939)、『海軍』(1943)によって、戦時下の日本映画界のリーダーに目された。広島で被曝(ひばく)して闘病生活を送り、『どぶろくの辰(たつ)』(1949)で復帰。新生日活で『女中ッ子』(1955)に生気をみせ、『乳母車(うばぐるま)』(1956)、『陽(ひ)のあたる坂道』(1958)、『若い川の流れ』(1959)など石原裕次郎作品に新風を送った。1959年(昭和34)東映に移り、文芸映画『五番町夕霧楼』(1963)、『冷飯とおさんとちゃん』(1965)を撮るが、『スクラップ集団』(1968)を遺作として、昭和49年10月17日死去。

[千葉伸夫]

資料 監督作品一覧

かぼちゃ騒動記(1926)
母を尋ねて三百里(1926)
情熱の浮沈(1926)
意気天を衝(つ)く(1926)
死の宝庫 前中後篇(1926)
鉄腕記者(1927)
正義の勇者(1927)
黒鷹丸(1927)
阿里山の侠児(1927)
夫婦全集(1927)
しゃぼん娘(1927)
更生(1927)
結婚二重奏[村田実・阿部豊との共同監督] 前後篇(1928)
無鉄砲時代(1928)
地球は廻る 第一部 過去篇(1928)
愛の町(1928)
思ひ出の水夫(1928)
村に照る陽(1928)
響宴 第一篇(1929)
私と彼女(1929)
日活行進曲 工場記活劇篇(1929)
愛の風景(1929)
雲の王座(1929)
この母を見よ(1930)
嵐は過ぎて(1930)
吹けよ春風(1931)
かんかん虫は唄ふ(1931)
五人の愉快な相棒(1931)
心の日月 烈日篇・月光篇(1931)
鳩笛を吹く女(1932)
春と娘(1932)
昭和新撰組(1932)
月よりの使者(1934)
明治一代女(1935)
追憶の薔薇(ばら) 前後篇(1936)
真実一路 父の巻・母の巻(1937)
五人の斥候兵(1938)
路傍の石(1938)
爆音(1939)
空襲(1939)
土と兵隊(1939)
君と僕(1941)
母子草(1942)
海軍(1943)
必勝歌(1945)
どぶろくの辰(1949)
雪割草(1951)
長崎の歌は忘れじ(1952)
女中ッ子(1955)
乳母車(1956)
今日のいのち(1957)
陽のあたる坂道(1958)
若い川の流れ(1959)
親鸞(しんらん)(1960)
続親鸞(1960)
はだかっ子(1961)
ちいさこべ 第一部・第二部(1962)
五番町夕霧楼(1963)
鮫(さめ)(1964)
冷飯とおさんとちゃん(1965)
湖の琴(1966)
スクラップ集団(1968)

『田阪具隆原作『五人の斥候兵』(1938・モダン日本社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「田坂具隆」の意味・わかりやすい解説

田坂具隆 (たさかともたか)
生没年:1902-74(明治35-昭和49)

映画監督。誠実な作風と真実一路の人生哲学を貫いた映画作家として知られる。広島県生れ。京都の第三高等学校を中退。1924年日活京都(大将軍)撮影所に助監督として入社,3年目に喜劇《かぼちゃ騒動記》(1926)で監督になる。ほとんど同時に監督としてスタートした内田吐夢に比べて作品も作風もじみで目だたなかったものの,久米正雄原作,入江たか子主演のメロドラマ《月よりの使者》(1934),川口松太郎原作の《明治一代女》(1935)をヒットさせたのち,山本有三文学のヒューマニズムに共感して映画化した《真実一路》(1937)と《路傍の石》(1938)で映画作家としての新境地に達した。この間に高重屋四郎というペンネームでシナリオ(原案)を書いて撮った《五人の斥候兵》(1938)は,日中戦争開始後の国策映画路線のなかにあって,戦争の場に立たされた人間の姿を素朴な形で描きつつ〈戦争〉と真剣に取り組んだ初めての日本映画であった。この映画は,日本と政治的連帯感があったイタリアのベネチア映画祭に出品されて〈大衆文化大臣賞〉を受賞し,外国における日本映画の受賞第1作となった(黒沢明監督《羅生門》のベネチア映画祭グラン・プリ受賞は1951年)。第2次世界大戦後,日本映画を研究しはじめた外国の評論家のなかには,この作品をG.W.パプスト監督の《西部戦線一九一八年》(1930)やルイス・マイルストン監督の《西部戦線異状なし》(1930)とならぶ〈反戦映画〉とみなすものもいる。45年応召して広島で被爆し,闘病4年,《どぶろくの辰》(1949)で再起し,原爆投下という歴史的事実をめぐって占領軍と映倫からクレームのついた《長崎の歌は忘れじ》(1952)ののち,《女中っ子》(1955)で左幸子,《乳母車》(1956)で石原裕次郎,《五番町夕霧楼》(1963)で佐久間良子の魅力を引き出し,喜劇《スクラップ集団》(1968)を最後に仕事を離れる。夫人は監督2年目に撮った探偵活劇《鉄腕記者》(1927)のヒロインを演じた女優の滝花久子。大映の時代劇の監督田坂勝彦は実弟である。
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20世紀日本人名事典 「田坂具隆」の解説

田坂 具隆
タサカ トモタカ

大正・昭和期の映画監督



生年
明治35(1902)年4月14日

没年
昭和49(1974)年10月17日

出生地
広島県豊田郡沼田村東村(現・三原市沼田町)

学歴〔年〕
三高中退

主な受賞名〔年〕
ベネチア国際映画祭大衆文化大臣賞〔昭和13年〕「五人の斥候兵」,ブルーリボン賞監督賞(第9回・昭33年度)「陽のあたる坂道」,年間代表シナリオ(第15回・昭38年度)「五番町夕霧楼」,京都市民映画祭監督賞〔昭和38年〕「五番町夕霧楼」,芸術選奨(第17回・昭41年度)「湖の琴」,牧野省三賞(第10回)〔昭和42年〕

経歴
大正13年日活大将軍撮影所に助監督として入社。三枝源次郎、村田実、溝口健二、鈴木謙作らに師事。15年「かぼちゃ騒動記」で監督に昇進。昭和2年「鉄腕記者」以後の15本は脚本・山本嘉次郎とのコンビが続く。7年新映画社設立に参加、新興キネマを経て、再び日活に戻る。「真実一路」をはじめ一貫してヒューマニズム思想のあふれる作品を撮りつづけた。13年の「五人の斥候兵」は日本初の外国映画祭受賞作となった。ほかの代表作に「明治一代女」「路傍の石」「五人の斥候兵」「土と兵隊」「女中っ子」「乳母車」「五番町夕霧楼」「湖(うみ)の琴」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田坂具隆」の解説

田坂具隆 たさか-ともたか

1902-1974 大正-昭和時代の映画監督。
明治35年4月14日生まれ。大正13年日活京都撮影所にはいり,「真実一路」「路傍の石」「五人の斥候兵」などで注目をあびた。昭和20年広島で被爆。戦後「女中っ子」「五番町夕霧楼」などを監督した。昭和49年10月17日死去。72歳。広島県出身。第三高等学校中退。

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367日誕生日大事典 「田坂具隆」の解説

田坂 具隆 (たさか ともたか)

生年月日:1901年4月14日
大正時代;昭和時代の映画監督
1974年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田坂具隆の言及

【活劇映画】より

時代劇映画
[戦前の活劇]
 1920年代から30年代にかけて,活劇は隆盛をきわめ,活劇スターが輩出した。学生スポーツ映画の嚆矢(こうし)《我等の若き日》やオートバイ活劇《青春の歌》(ともに1924)や牛原虚彦監督とのコンビ作《潜水王》(1925),《近代武者修業》,《陸の王者》(ともに1928)などの鈴木伝明,山本嘉次郎監督《爆弾児》(1925)や《鉄拳児》,オートバイ活劇《快走恋を賭して》(ともに1926)などの高田稔,《恋は死よりも強し》(1925),《赤熱の力》(1926),《鉄拳縦横》(1927)などの竹村信夫,田坂具隆監督《阿里山の俠児》(1927),《雲の王座》(1929)や阿部豊監督《覇者の心》(1925),《非常警戒》(1929)や内田吐夢監督《東洋武俠団》(1927)などの浅岡信夫,溝口健二監督の海洋活劇《海国男児》(1926)や田坂具隆監督《鉄腕記者》,《黒鷹丸》,また内田吐夢監督《漕艇王》(ともに1927),《太洋児・出船の港》(1929)などの広瀬恒美である。これらの映画はときに〈猛闘劇〉と呼ばれ,鈴木伝明は学生出身のスポーツ俳優第1号とされ,続く浅岡信夫は陸のスポーツ俳優,広瀬恒美は海のスポーツ俳優と称されて,浅岡信夫はみずから監督もした。…

【明治一代女】より

…1935年11月明治座で,作者の脚色,花柳章太郎主演により初演,好評を博し,以後新派の当り狂言となる。同年日活で,田坂具隆(ともたか)監督,入江たか子主演により映画化された。【藤木 宏幸】。…

※「田坂具隆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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