福本イズム(読み)ふくもとイズム

改訂新版 世界大百科事典 「福本イズム」の意味・わかりやすい解説

福本イズム (ふくもとイズム)

山川イズムに代わって日本共産党を支配した理論。ドイツ帰りの福本和夫(筆名北条一雄)は,1924年末以来雑誌《マルクス主義》を中心に活躍し,26年2,5月号に発表した《山川氏の方向転換論の転換より始めざるべからず》は,左翼陣営に大きな影響を与えた。福本は山川イズムを経済運動と政治運動との相違を明確にしない〈折衷主義〉であり,〈組合主義〉であると批判し,運動を政治闘争に発展させるためには,理論闘争によって,労働者の外部からマルクス主義意識を注入することの必要を説いた。この党による指導性の強調と〈結合の前の分離〉の組織論は,共産党再建問題で分裂の危機にあった指導者層や学生,戦闘的労働者に支持され,彼らの中心的理論となった。しかし,この〈分離結合理論〉は大衆団体の組織的分裂を合理化することとなり,また,理論闘争は理論の現実からの遊離をもたらし,共産党を大衆や労働者から切り離す危険をともなった。コミンテルンは〈27年テーゼ〉で山川イズムを批判する一方,福本イズムの〈分離結合理論〉はレーニンの共産党組織論《なにをなすべきか》の戯画であり,労働総同盟農民組合などの諸組織の分裂を策した日本共産主義者方針は根本的に誤っていると批判した。その結果,福本イズムの運動への影響力は急速に失われていった。
山川イズム
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「福本イズム」の意味・わかりやすい解説

福本イズム
ふくもといずむ

日本共産党の創立直後の一時期影響力をもった福本和夫のマルクス主義理論。山川均(やまかわひとし)の山川イズムへの批判として現れ、1924(大正13)~1927年(昭和2)に学生運動などを通じて圧倒的影響力をもったが、コミンテルンの「27年テーゼ」で批判され衰退した。ドイツ留学中にルカーチ、コルシュなどを学んで帰国した福本は、河上肇(かわかみはじめ)、福田徳三らのマルクス経済学を批判するのみならず、『マルクス主義』1925年10月号の「『方向転換』はいかなる諸過程をとるか、われわれはいかなる過程を過程しつつあるか」などで当時の無産政党組織問題に介入し、合法無産政党結成の前にまずマルクス主義的政治意識を分離し結晶すべきと説いた。そのためには無産階級内部の非マルクス主義的要素との理論闘争が必要だとして、レーニン『なにをなすべきか』を援用しつつ山川イズムの自然成長論・共同戦線党論を批判し、1926年12月の日本共産党再建大会では指導理論となった。分離結合論、日本資本主義没落論ともいわれる。コミンテルン「27年テーゼ」は山川イズムと福本イズムの双方を批判し、福本理論をセクト主義として退けた。しかしマルクス主義文献の機械的適用による政治分析の手法は、その後の日本共産党でも長く残された。福本自身はその後、技術史やルネッサンスの研究に向かった。

[加藤哲郎]

『小島亮編『福本和夫の思想』(2005・こぶし書房)』『『福本和夫著作集』全10巻(2008~刊行中・こぶし書房)』

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百科事典マイペディア 「福本イズム」の意味・わかりやすい解説

福本イズム【ふくもとイズム】

福本和夫〔1894-1983〕の理論体系。1925年―1926年《マルクス主義》誌上で山川均の協同戦線党的単一無産政党論(山川イズム)を真向から批判し,日和見(ひよりみ)主義,折衷主義と烙印(らくいん)。ブルジョア革命から社会主義革命へ急転化する2段革命論を打ち出し,折衷主義からの〈分離・結合〉を提唱して1926年日本共産党再建大会の指導原理となったが,27年テーゼで山川イズムとともに批判され,影響力を失った。

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世界大百科事典(旧版)内の福本イズムの言及

【日本共産党】より

…この第1次共産党事件に続く関東大震災時の社会主義者の虐殺を含む弾圧のなかで赤松克麿らの解党論が台頭し,24年2月に荒畑寒村の反対はあったが解党を決議した。
[福本イズム]
 解党後設置された残務整理委員会は,同年5月雑誌《マルクス主義》を発刊したりしたが,コミンテルンは解党に反対し,25年1月の上海会議で党再建を指示した。会議に出席した徳田らは残務整理委員をビューローに改組し,同年9月には合法機関紙《無産者新聞》を発刊して労働問題や無産政党問題に対応するなかでコミュニスト・グループを拡大し,26年12月に山形県五色温泉で再建(第3回)大会を開催した。…

【マルクス主義】より

…これに対して,第1次大戦後のワイマール・ドイツでK.コルシュらにマルクス主義を学んで帰国した福本和夫は,雑誌《マルクス主義》(1924創刊)に《経済学批判におけるマルクス《資本論》の範囲を論ず》などの一連の論文を発表し,マルクスの唯物弁証法的方法により資本主義社会の現実の運動法則を明らかにするとともに,〈分離・結合〉論を展開して山川の〈方向転換〉を批判し,先鋭な前衛党による理論闘争と政治闘争の必要を説いた。それは,これまでのマルクス主義理解を飛躍的に高めるものとして影響を広げる一方,〈山川イズム〉と〈福本イズム〉の対立として労農運動の組織をはじめプロレタリア文芸連盟などの諸組織の分裂を結果した。 福本イズムによって日本共産党が再建された(1926)が,翌年コミンテルンの〈27年テーゼ〉によって山川イズムと福本イズムの双方が批判され,以後,福本イズムを清算した日本共産党はコミンテルンの指導の下で正統派の位置を与えられることになる。…

※「福本イズム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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