二位尼(読み)ニイノアマ

デジタル大辞泉 「二位尼」の意味・読み・例文・類語

にい‐の‐あま〔ニヰ‐〕【二位尼】

平時子たいらのときこ

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精選版 日本国語大辞典 「二位尼」の意味・読み・例文・類語

にい‐の‐あまニヰ‥【二位尼】

  1. たいらのときこ(平時子)

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改訂新版 世界大百科事典 「二位尼」の意味・わかりやすい解説

二位尼 (にいのあま)
生没年:?-1185(文治1)

平安末期の女性。平時子平清盛の妻。平時信の女,時忠は弟,妹滋子は後白河上皇の女御。宗盛・知盛・重衡・徳子らを生み,1168年(仁安3)清盛とともに出家,71年女徳子が高倉天皇中宮になってから従二位に叙せられたので二位尼,二品尼と称される。清盛の死後一門の後見的立場をしめたが,85年3月,長門国壇ノ浦で平家が滅亡するさい安徳天皇を抱いて入水した。
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百科事典マイペディア 「二位尼」の意味・わかりやすい解説

二位尼【にいのあま】

平時子

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「二位尼」の解説

二位尼
にいのあま

平時子(たいらのときこ)

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世界大百科事典(旧版)内の二位尼の言及

【安徳天皇】より

…【杉橋 隆夫】
[安徳伝説]
 安徳天皇が壇ノ浦の戦ののちも流離し,生存したという伝承の根を探るとすれば,《平家物語》巻十一〈先帝身投〉にまで戻らねばならない。二位尼に抱かれた幼帝安徳は壇ノ浦の海底深く沈んだことになっているが,覚一本系の諸本を見ると,はじめのところでは〈御髪黒うゆらゆらとして御せなか過ぎさせ給へり〉とあり,そのあとには〈山鳩色の御衣にびんづらゆはせ給ひて〉となっていて,明らかに安徳帝の描写に矛盾があり,同一人物とは思えないところから替玉説が浮上してくる。安徳帝は死んだと見せかけて,ひそかに壇ノ浦から脱出して生存したとする説がそれであって,四国を中心に中国,九州,対馬,硫黄島にまで足跡をとどめている。…

※「二位尼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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