二俣瀬渡
ふたまたせわたし
厚東川の中流、木田の二俣瀬にあった旧山陽道の渡船場。
「注進案」によれば、この辺りでは厚東川は二俣瀬川とよばれており、その川幅や渡人足などについて
<資料は省略されています>
とある。
渡船の新造や修理費について古くは公米銀があてられていたが、宝暦七年(一七五七)以降は吉見村にあった御立藪を切り開いて畠とし、地代を勘場利廻しにして、その利銀があてられた。また櫓は三田尻(現防府市)の御船仕出方役所より借り、損傷の場合は、引替えに同役所で借りることになっていた(注進案)。二俣瀬渡には船頭役一人が置かれ、「諸御通路之節袴羽織着ニ而御渡船場へ出勤仕、無御滞御渡川相済候様心遣仕来候」という。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 