日本歴史地名大系 「木田村」の解説
木田村
きだむら
南流する
木田村
きだむら
- 大阪府:寝屋川市
- 木田村
木田村
きだむら
下尻毛村の北に位置し、西は
木田村
きだむら
木田村
はのきだむら
- 岩手県:北上市
- 木田村
仙台藩領の江刺郡に属し、北東は同郡
木田村
きだむら
- 山口県:宇部市
- 木田村
南流する
弘治三年(一五五七)の原権左衛門家文書(「閥閲録」所収)に
という毛利隆元の禁制があり、また同年八月二三日付浄名寺文書(「寺社証文」所収)にも「吉見郷木田村」とみえる。
慶長五年(一六〇〇)の検地帳では木田・薬師堂・瓜生野が合筆で記され、同一五年の検地帳でも三村が合筆され、総石高四九〇石余、うち田二八町余で三七五石余、畠一三町余で七七石余、百姓屋敷五六で小物成八石余となっている。
木田村
きたむら
木田村
きだむら
- 大分県:杵築市
- 木田村
杵築城下の北西にあたり、中世の木田村は
木田村
きだむら
木田村
きだむら
- 愛知県:東海市
- 木田村
丘陵地帯に立地し、村北を
木田城近くの現天台宗雨尾山
木田村
きだむら
木田村
きだむら
木田村
きだむら
木田村
きだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報