改訂新版 世界大百科事典 「二条邸」の意味・わかりやすい解説
二条邸 (にじょうてい)
足利義昭とともに上洛した織田信長が,将軍に就任した義昭のために築いた城構えの居館。二条御所とよばれた。もとの足利義輝の居館を東と北に拡張した方2町の敷地で,東は烏丸,南は春日(現在の丸太町通り)に面していた(現在の京都御所御苑の南西隅に隣接するところにあたる)。周囲の堀,石垣の普請は1569年(永禄12)2月2日から開始され,70日で完成した。信長は,支配下の14ヵ国の侍,人足1万5000~2万5000人を動員し,みずから現場で指揮をとった。また村井民部,島田所之助が奉行となり,洛中洛外の鍛冶,大工,杣(そま)を集め,隣国から材木をとり寄せて建築工事が行われた。庭の石は細川邸や東山殿から,笛鼓ではやしながら3000~4000の人数で曳いた。東,西,南の3ヵ所にあった門には櫓(やぐら)の備えがあり,南西隅櫓は三重であった。73年(天正1)義昭追放後,城は廃棄され,南門,東門は安土城へ移された。現在遺構をとどめないが,1974年地下鉄工事の際,堀と石垣が発掘され,堀幅は16.7m,石垣には石仏,五輪塔,板碑,礎石が使われたことなどが明らかになった。
執筆者:宮上 茂隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報