日本歴史地名大系 「二河村」の解説
二河村
にこうむら
慶長検地高目録によると村高三〇二石余、小物成二斗六升三合。文政元年(一八一八)の郷帳(「那智勝浦町史」所収)によると、田畑二三町余、家数一八で内訳は本役一二、庄屋・肝煎・歩行合三、半役一など、人数一四二(男七九・女六三)、牛一二、通船二。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
慶長検地高目録によると村高三〇二石余、小物成二斗六升三合。文政元年(一八一八)の郷帳(「那智勝浦町史」所収)によると、田畑二三町余、家数一八で内訳は本役一二、庄屋・肝煎・歩行合三、半役一など、人数一四二(男七九・女六三)、牛一二、通船二。
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