二河村(読み)にこうむら

日本歴史地名大系 「二河村」の解説

二河村
にこうむら

[現在地名]那智勝浦町二河

たか(二四七メートル)南東麓に広がる村。村内を二河川が北西より南東に流れ、南部を熊野街道大辺路が通る。東はかわ村、北東橋之川はしのかわ村。「続風土記」は「川の源は那智妙法山より出つ、二河の名古くは此辺の総名にして、此川と湯川と合流して海に入るより其名あるならん」と記す。慶長六年(一六〇一)一二月六日の浅野幸長寄進状写(米良文書)に「為那智山領於室郡、市野々・二河両村参百之所并御戸銭檀那着之儀令寄進者也」とみえる。

慶長検地高目録によると村高三〇二石余、小物成二斗六升三合。文政元年(一八一八)の郷帳(「那智勝浦町史」所収)によると、田畑二三町余、家数一八で内訳は本役一二、庄屋肝煎・歩行合三、半役一など、人数一四二(男七九・女六三)、牛一二、通船二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android