二田郷(読み)ふたたごう

日本歴史地名大系 「二田郷」の解説

二田郷
ふたたごう

和名抄諸本とも文字異同はなく、訓を欠く。「太宰管内志」は「不多陀と訓ムべし」とし、「竹野郡二田郷今は廃れて筑後地鑑などにも見えず」と記すが、現田主丸たぬしまる益生田ますおだ二田屋敷ふたたやしきの小字名が残り、江戸期には二田村(現田主丸町)が存在しており、これらが遺称地名と考えられる。付近には益生田古墳群があり、さまざまな形状の鉄鏃が出土している。「太宰管内志」は「二田物部ノ住メりし処にて負せたるか」とも記している。


二田郷
ふたたごう

「和名抄」諸本とも文字の異同はなく、伊勢本・東急本・高山寺本の訓「布多々」、元和古活字本の訓「布多多」、名博本の傍訓「フタヽ」から「ふたた」と読む。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む