日本歴史地名大系 「二番丁」の解説 二番丁にばんちよう 香川県:高松市高松城下二番丁[現在地名]高松市錦町(にしきまち)一―二丁目・番町(ばんちよう)二丁目北は一番丁・西通(にしとおり)町、南は三番丁・四番丁に挟まれ、松平頼重入部時までには成立していた武家屋敷(→一番丁)。東は南紺屋(みなみこんや)町、西は西浜(にしはま)町。東・西とも町人町との境に木戸がある。東端に法泉(ほうせん)寺が入込み、その西隣から東西約三〇〇間・南北約六〇間。通りの南北両側で三六軒の短冊形の町割である。一番丁西端を通って北の西通町に突当る千石(せんごく)小路の一本西の通りの両側七軒も二番丁(天保一五年城下図)。千石小路は「讃州府志」に武家屋敷町の一つとして記載されている。四五〇石辻求馬(惣領頭)を筆頭に、山下虎蔵(書院)・大須賀権之丞(小姓)・木村専之助(惣領頭)・川西孫八(大納戸)など三五〇石以上二人、一〇〇石以上一七人、一〇〇石未満一四人の中・下級武士の居住区であった(高松藩分限帳・天明年間城下図)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by