五カ年計画(読み)ごかねんけいかく

山川 世界史小辞典 改訂新版 「五カ年計画」の解説

五カ年計画(ごかねんけいかく)

①〔ソ連〕piatiletka ソ連の経済発展計画。恐慌下の世界でこの言葉が広まった。第1次五カ年計画(1928~32年)は1929年16回党協議会で正式に採択された。この計画の主目的は,経済の復興にもとづいて,経済全体を社会主義的に改造するために強力な重工業を急速に創出することにあった。目標数字はいくども引き上げられ,達成できなかったが,それでも建設は急テンポで進み,ソ連は工業国となり,農業の集団化も急速に進められた。60年に終わる第6次五カ年計画まで実施され,以後七カ年計画となった。

②〔中国〕中華人民共和国では建国後,ソ連型の社会主義計画経済体制を導入する目的で1953年から57年まで第1次五カ年計画が実施された。中国ではこのときに強固な社会主義体制の基礎が確立された。78年以後の改革・開放により計画経済から市場経済へと移行しつつあるが,五カ年計画は継続している。現在2006年から2010年まで,第11次五カ年計画が進行中である。

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旺文社世界史事典 三訂版 「五カ年計画」の解説

五か年計画
ごかねんけいかく

ソ連国民経済発展五か年計画の略称。1928年に始まった,経済・文化の発展に関する5か年単位の建設計画
ソ連ではネップ(新経済政策)による経済復興ののち,一国社会主義論が勝利して社会主義的工業化が強力に進められ,五か年計画が継続的に実施された。
【第1次】1928〜32 ソ連が農業国から工業国に変わり,農業のコルホーズ化が進展
【第2次】1933〜37 重工業と消費物資生産をともに進め,ネップのなごりの資本主義的傾向を一掃,農業の集団化は99%に達した。
【第3次】1938〜42 軍需工業分散に重点が置かれたが,第二次世界大戦の勃発によって中断され,戦時体制に転換した。
【第4次】1946〜50 戦災からの復興を目標とした。
 ついで第5次〜第11次と続き,第12次(1986〜90)計画においては各部門のペレストロイカ推進があげられた。

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