日本歴史地名大系 「五之丁」の解説 五之丁ごのちよう 福島県:会津若松市若松城下五之丁[現在地名]会津若松市東栄町(ひがしさかえまち)・西栄町(にしさかえまち)・栄町(さかえまち)・中町(なかまち)本四之(ほんしの)丁の北側を東西に走る郭内第五街、当丁から本を頭につけない。米代(よねだい)が四之丁までしかなく、五之丁がほかにないからである。東は六日町(むいかまち)通の北端から真っすぐ西へ通り、西端は外郭土塁際で南へ折れ、本四之丁の西端に出る。長さ七町一八間余・幅は東は八間余、中ほどは一二間余、西は狭くなって四間余、家数は寛政期(一七八九―一八〇一)には南側一八・北側一三(会津鑑)、化政期には二七(新編会津風土記)。現在の会津若松市役所前通にあたる。倉屋敷が今の市役所向い角にあって、藩士に給する倉米を蔵していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by