五十原村(読み)いかはらむら

日本歴史地名大系 「五十原村」の解説

五十原村
いかはらむら

[現在地名]糸魚川市五十原

東塚ひがしづか村の北西、西はこし村の越川原こしかわら集落、南東角間かくま村。はや川を挟んで対岸みやだいら村・中野なかの村・中林なかばやし村。かつては宮ノ平村の崖下の川原にあったがしばしば洪水に見舞われ、江戸時代の初めに早川左岸の現在地に移動したという。そのため、それ以前は経田きようでん村の一部をなしている。名請人は彦左衛門尉・清左衛門尉・二郎兵衛・甚兵衛の四人。貫高は九貫五九文で米合計二七俵余。地名に江またき・すなた・かわら田・ちやうおんあん田など一三がみえる。正保国絵図に高二五石余とある。天和三年郷帳では高五九石六斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む