五十嵐村(読み)いかなしむら

日本歴史地名大系 「五十嵐村」の解説

五十嵐村
いかなしむら

[現在地名]今治市五十嵐

天保郷帳には村名が記されていない。今治平野中央部西寄り、五十嵐の丘陵を含み、石清水八幡宮の麓に広がる。三割が丘陵、七割が平坦地である。北は蒼社(そうじや)川によって高橋(たかはし)村と相対し、南は新谷(にや)村、東は四(よ)村、西は八幡(やわた)村(現越智郡玉川町)と接する。条里の遺構が残り、延文六年(一三六一)の紀則氏避状(能寂寺文書)にみえる「清水里十四坪、卅一坪、卅四坪」などが復元されている。律令時代は、越智(おち)郡のうち給理(こおり)郷に含まれていた地域と推定される。

村名は古くは伊加奈志(いかなし)と書いたという(伊予国越智郡地誌)。慶安元年(一六四八)の今治御領分新高畝村人数帳に松尾(まつお)村と併記して、高四六四石七斗余、本田畑三一町五反とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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